新型コロナウイルス感染拡大による外出制限などを受け、世界経済が急速かつ大きく変化し始めている。世界的に需要が大きく落ち込むと同時に、社会全体にデジタル技術の重要性が高まっている。それをけん引する代表的な企業が、中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)や、米国のGAFA+M(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、およびマイクロソフト)だ。
ところが、日本ではこうした米中のIT大手企業のような企業が見当たらない。これは、日本経済にとって決定的な問題点と考えるべきだ。その中で注目されるのがソニーだ。ソニーは経済環境が大きく変わる中で、新しい技術の実現を通して人々の新しい生き方を支えようとしている。
創業後間もないころ、ソニーにはそうしたスピリットがあふれていた。その後、ソニーは新しいものを創造する文化を喪失してしまった。今後、ソニーには先端分野での成長のために必要な経営資源を積極的に取り込み、かつてのように独創的な技術を用いて新しい需要を生み出すことを考えなければならない。そのためにどのような戦略を策定し、実行するか、経営者の意思決定の重要性がこれまで以上に高まっている。
新しい発想が生み出す人々の新しい生き方
創業間もないころ、ソニーは新しい独自技術の開発に徹底してこだわった。それは、日本経済の成長だけでなく、人々の自信などを高めることにも寄与したはずだ。同時に、ソニー創業者は一時の成功に満足せず、常に新しい技術を用いてこれまでにはない人々の生き方を生み出そうとした。それが、組織全体に浸透しヒット商品が生み出された。
見方を変えれば、モノづくりの本質とは、人々の新しい発想をモノ(製品)に落とし込み、新しい需要(満足感など)を生み出すことにあるといえる。1950年代以降、ソニーはトランジスタラジオの世界的ヒットを皮切りに、1960年代はトリニトロンテレビ、1970年代はウォークマンなどヒットを続けて生み出した。
ソニーのトランジスタラジオ(TR-55)は、持ち運びできる小型、高性能のラジオとして世界的にヒットした。それはソニー成長の礎となり、1962年に同社はニューヨーク五番街にショールームを設け日の丸と星条旗を掲げたという。その意味で、ソニーは日本の技術力の高さ、戦後復興の象徴だったといえる。
重要と考えられるのが、1990年代初めまで、ソニーが新しい発想の実現によって、新しい満足感の実現に取り組んだことだ。ウォークマンの開発の背景には、出張時に気楽にステレオ音声で音楽を聴きたいという創業者の一人である井深大氏のリクエストがあった。それを基に、同社のエンジニアはモノラルのテープレコーダーを改造し、ウォークマンの原型を生み出した。
さらに盛田昭夫氏が持ち運び可能で一人で音楽を楽しむコトは多くの支持を得ると考えた。それがウォークマンのヒットにつながり、好きな時に、好きな音楽を一人で楽しむという今では当たり前のミュージックライフを創造した。こうしたソニーのヒストリーを確認すると、新しい発想を用いたモノの創造こそが、人々の新しい生き方という需要を生み出すことがわかるだろう。そこにモノづくりの本質、重要性がある。
コロナショックがもたらす世界経済の変化
今、日本には、かつてのソニーのように創造力を発揮し、新しい需要を生み出そうとする人材、企業が必要だ。新型コロナウイルスの感染拡大によって、人々が当たり前に思ってきた経済活動は急速かつ大きく変化している。
大きな変化の一つに、デジタル化の急速な進行がある。コロナショックの発生により、世界全体でソーシャル・ディスタンス(人と人の距離をとること)が当たり前になった。欧米では外出制限などが緩和されているが、飲食店、小売店などへの客の戻りはかなり鈍いようだ。また、経済活動の再開とともに感染が再拡大する恐れもある。
世界各国は感染症を念頭に置きつつ、今後の経済運営を練らなければならない。医療崩壊を防ぐためにオンライン診療の重要性が高まっている。多くの分野で人との接触を避けつつ、これまでにはない満足度を提供する取り組みも進んでいる。スポーツ分野では感染リスクを避けるためにeスポーツへの人気が高まっている。わが国の景気持ち直しに重要な役割を果たした観光分野ではバーチャル・リアリティ(VR)を用いたVRトラベルが注目を集めている。
さらに、世界全体で働き方が変化している。テレワークの推進によって、オフィスに通勤する必要性が低下し、事業継続に必要な人材がより明確になった。長い目線で考えれば、企業の組織運営やビジネスモデルは、個人の能力をより重視したものに変化する可能性がある。ブロックチェーンを用いた業務の自動化・省人化などもこれまで以上のスピードで進む可能性が高い。それとともに、タブレット端末やノートパソコン、さらには大型のデータセンターへの需要も高まっている。世界全体でデジタル技術の重要性は一段と増すだろう。
この中、米中の大手ITプラットフォーマーはデジタル技術を駆使して変化に対応し、成長を目指している。一方、日本経済は機械や自動車産業に支えられてきた。日本がIT先端分野での変化に対応することは容易ではない。
高まるオープン・イノベーションの重要性
今後、企業は既存の事業セグメントやビジネスモデルに固執するのではなく、需要が高まると期待される分野に積極的に経営資源を再配分しなければならない。その実現に向けて、企業間の“オープン・イノベーション”をより大規模に進めることが求められるだろう。中国では政府の指揮の下でBATHを中心に国家全体でオープン・イノベーションが推進されている。
近年のソニーの経営戦略を振り返ると、同社は米中の大手ITプラットフォーマーに対抗する潜在的な力を持つ数少ない日本企業の一つに見える。ただ、ソニーの研究開発費は年間5000億円程度であり、アップルの四半期の研究開発費に等しい。さらに中国では政府がファーウェイなどの研究開発を強力に支援している。
成長を目指すために、新しいテクノロジーを開発し、それを実装したモノやサービスを提供することは避けて通れない。2012年以降、ソニーは構造改革を進めCMOSイメージセンサーをはじめ、長期的に成長期待の高い分野に経営資源を再配分してきた。現在、ソニーは人口呼吸器など医療機器の生産や、人の感情を認知する“友達ロボット”の開発にも取り組んでいる。その実現に向け、ソニーが国内外の企業とよりオープンに情報を共有し、より先端のテクノロジーの実現に取り組む意義は大きい。反対に、自前で新しい取り組みを進めようとすればするほど、技術の陳腐化など変化への対応は難しくなる。
コロナショックを境に、世界経済は急速に変化し始めている。経営者は企業全体が向かうべき目標を明確に定め、迅速に改革を進めなければならない。経営者の意思決定が遅れれば、世界の大手ITプラットフォーマーとの競争に対応することは難しくなるだろう。さらに、コロナショックによって世界全体で個人の力の重要性が増す可能性を考慮すると、ソニーのように構造改革を進め新しい発想を実現できる人材を育成・確保し、活躍の場を提供することは避けて通れない。そうした企業が増えれば、わが国の経済・社会の活力は高まるだろう。そのために政府が構造改革を推進しなければならないことはいうまでもない。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)