霧島ホールディングス(HD)の代表取締役専務、江夏拓三氏の講演を聞きに行った。同社の事業会社・霧島酒造が先立って、拠点とする宮崎県都城市内に新工場を建設すると発表し、その好調ぶりに興味を持ったのだ。
「5番目の工場となる志比田第二増設工場が2018年8月に稼動すると、当社の生産能力は1.8リットル瓶換算で1日4万本となり現在の4工場体制(合計16万本)から25%高まる。総投資額は157億円。」(江夏専務談)
江夏氏はエネルギー溢れる経営者だ。講演会場のフロアに歩み出て、声もジェスチャーも大きく聴衆に語りかけた。成功している経営者らしく、自信にあふれ威風堂々である。その江夏氏が、同社の成功譚を情熱的に語ってくれた。
「黒霧島」で無二の快進撃
1916年に芋焼酎の蒸留を始めた霧島酒造は、創業100年を迎えた。1990年代後半までは、マイナーな焼酎メーカーのひとつにすぎなかった。
転機は、96年に江夏氏の実父である2代目社長・江夏順吉氏が急逝した時に訪れた。兄・江夏順行氏が社長に、拓三氏が専務に就任する。当時の同社は焼酎業界では8位で、トップの「いいちこ」は同社の看板商品「霧島」の5倍の売上高と、大きく水を空けられていた。
麦焼酎が当時主流を占め、芋焼酎は劣勢にあったのだが、三代目兄弟は「芋臭くない焼酎」の開発を目指し、98年に新製品「黒霧島」を世に問うたのである。
「トロッと、キリッと」
マーケティングも担当する江夏氏が「黒霧島のキャッチフレーズは私が考えました」と、述懐した。
「黒霧島」の成功は素晴らしかった。13年にはいいちこを抜き、本格焼酎(乙類焼酎)で国内1位を達成する。霧島酒造の年商は今年700億円近くとなり、黒霧島の発売以来、デフレ下にもかかわらず7倍に達したと、江夏氏はチャートで示した。この間、本格焼酎全体の国内総販売金額は07年にピークを迎え、その後10年間で8%下降している。
「デフレ下でこの規模の成長を遂げた製造業は、当社と日亜化学だけだったそうです」と、専務が誇った。しかもここ数年の同社の対売り上げ経常利益率は15%にも上っているという。これは上場企業を見渡しても通常の製造業では稀有の好決算だ。
ランチェスター戦略で市場攻略
良い製品を出せば自動的に売れる、というのはもちろんメーカー的な発想である。新しい呑み心地を問うた黒霧島も自動的に売れ始めたわけではなかった。
「『横展開式ドミナント戦略』を展開したのです」