話を戻そう。こうした大衆的人気を基盤にした政権が、アメリカと距離をおくのは、いくつか理由がある。
まずは、先に述べたようなアメリカのエリート層が説教臭く迫る政策への大衆的反発がある。それに加え、アメリカのビジネス界が「自由と公正」の名のもとに強引に迫るアメリカ企業有利のルール設定への反感がある。これらが、ポピュリズム(大衆迎合)的政治家を、反米、嫌米に向かわせる。
嫌米方針をとる民主主義国のリーダーの勘違い
やっかいなのは、ポピュリズム政治家が勘違いしていることだ。甘っちょろいリーダーの場合、自分はより民主主義的な政治家であるから、少しくらいアメリカに個別の政策で逆らってみても、民主主義を奉ずるアメリカは許し、支持してくれる、と勘違いする。鳩山元首相が、「オバマ米大統領に直接話をすればなんとかなる」と考えていたのは、こうした心理ではなかったか。
確かに、アメリカは民主主義的な国を軍事的に攻撃することはしない。アメリカ世論の支持を得られないからだ。しかし、世論の関心の低い、現実の細かい外交政策は、損得勘定に基づきとても実利的だ。ときに理不尽といえるほど強引だ。友好国ならお受けなさいと。
そこまで見てとっているしたたかなリーダーの場合、軍事的には形ばかりアメリカの側に属して、アメリカとできるだけ距離を遠くし、経済的に中国に近づく。そうすれば、アメリカ特有の「友好国への理不尽な要求」も拒否できる。嫌米により国家主義的感情を満足させ、親中による経済的メリットを出すことで、自国の大衆の人気も得られる。自国の民主主義的人気があれば、アメリカが攻めてくるということはない。そして、一応アメリカ側に属していれば、中国も本格的には攻めてこられない。
したたかなドゥテルテ大統領が、中国で「アメリカとは別れた」と発言したのは、こうした計算ではなかったか。
しかし、そのアメリカの実利的な外交政策に逆らい続ければ、アメリカによる軍事的攻撃こそないが、実務的支援を受けられない。
実は、アメリカは軍事面だけでなく、情報、経済、金融などにおいて世界的公共財を提供している。そして多くの国において、アメリカの実務的支援を得られず、ときに世界的公共財の使用において嫌がらせをされると経済社会を維持することが難しくなる。それが何年も続くと、政権の死につながる。特に表現の自由、政治的自由がある「民主主義国」において。