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山田修「間違いだらけのビジネス戦略」「2016経営者残念大賞」第2位:益子修氏

隠蔽事件で死者まで出した三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」

文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント
隠蔽事件で死者まで出した三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」の画像1日産自動車のカルロス・ゴーン社長と三菱自動車の益子修会長兼社長(東洋経済/アフロ)

 今年、業績を大きく落とした、成長機会を逃した、企業価値を大きく毀損した、危機的状況に際して拱手傍観してしまい窮地に陥る状況としてしまった、経営者としての倫理にもとった、社会に大きな損害あるいはリスクや不安を与え強く指弾された、などの残念な結果を残した経営者を顕彰する、「2016経営者残念大賞」。

 本連載前回記事では、第3位としてシャープの高橋興三前社長を発表した。今回はグランプリこそ逸したが、今年の“残念経営者”第2位として、三菱自動車工業(以下、三菱自)の益子修社長兼CEO(最高経営責任者)を発表したい。

最悪の企業文化にメスを入れなかった罪

隠蔽事件で死者まで出した三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」の画像2『間違いだらけのビジネス戦略』(クロスメディアパブリッシング/山田修)

 三菱自は00年、04年と2度にわたるリコール隠し事件を起こしている。この事件により2人の死者を出す交通事故が発生し、三菱ふそう前会長や元常務ら7人と、三菱自の元社長や元役員6人が逮捕されている。およそ東証一部上場の大企業としてあり得べからざる犯罪を犯した。これを「1度目」の不祥事としよう。

 結果、経営危機に陥った三菱自に手を差し伸べた三菱グループが04年に送り込んだのが、益子氏だった。三菱商事から同社へ常務取締役として送り込まれた同氏は翌年、社長に就任した。以来、同社の最高経営責任者であり続けている。

 では、再生経営者として着任した益子氏が果たすべき最優先責務は、なんだったのだろうか。

 それは、三菱自に巣くっていた企業文化を根こそぎ変えることだったはずだ。負の企業文化として、リコール隠しに見られたような隠蔽体質があり、顧客(社会であり消費者)に対する無責任、無感覚があった。

 益子氏は、日産再建を主導したカルロス・ゴーン会長兼社長が見せた「見知らぬ力(りょく)」を最大発揮すべきだったのだ。私も新任経営者として外部から6度、企業に乗り込んだ経験がある。正直、企業文化を変える、社員たちの考え方や業務上の価値観や優先順位に影響力を発揮することが、新任経営者としては一番難しい。その難しい領域に踏み込めるのが、外部から就任した新しい経営者である。

 三菱自の場合、それを果たさなければ社会や市場から許されない状況だった。何しろ、司法や政府からさえ指弾を受けていた状況なのである。

山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役

山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役

経営コンサルタント、MBA経営代表取締役。20年以上にわたり外資4社及び日系2社で社長を歴任。業態・規模にかかわらず、不調業績をすべて回復させ「企業再生経営者」と評される。実践的な経営戦略の立案指導が専門。「戦略カードとシナリオ・ライティング」で各自が戦略を創る「経営者ブートキャンプ第12期」が10月より開講。1949年生まれ。学習院大学修士。米国サンダーバードMBA、元同校准教授・日本同窓会長。法政大学博士課程(経営学)。国際経営戦略研究学会員。著書に 『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ』、『本当に使える経営戦略・使えない経営戦略』(共にぱる出版)、『あなたの会社は部長がつぶす!』(フォレスト出版)、『MBA社長の実践 社会人勉強心得帖』(プレジデント社)、『MBA社長の「ロジカル・マネジメント」-私の方法』(講談社)ほか多数。
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