大学4年で何も身につけない日本の若者、貧国ミャンマーの若者のやる気に圧倒的敗北
11月1日から5日までの5日間、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が来日した。奇しくもその2週間ほど前の10月中旬、私は初めてミャンマーを訪れる機会があった。最近注目度の高い国だけに「ぜひこの目で見てみたい」と思っていた国だったので、念願叶っての視察であった。
ものすごい勢いで発展
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、住友商事をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
住友商事出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。