介護大手のニチイ学館が2020年8月に実施した経営陣や創業家によるMBO(経営陣が参加する買収)に伴うTOB(株式公開買い付け)をめぐり、少数株主だった香港の投資会社「リム・アドバイザーズ・リミテッド」が今年1月初旬、買い付けプロセスが公正ではなく、買い付け価格も不当に低いとして、東京地方裁判所に申し立てを行ったことが5日、わかった。
このTOBには著名な投資ファンド、大手弁護士事務所、4大監査法人系コンサルティング会社、メガバンク3行、大手証券会社といった、日本の名だたるプレーヤーが関与しており、東京地裁の判断次第では、日本の市場全体の透明性や公正さが問われ、世界に恥をさらすことになるかもしれない。
公正さや透明性について最初の疑念は、このTOBをめぐっては、社外取締役が設立した会社が株式を買い付けている点だ。社外取締役の独立性や利益相反について問題視する声が専門家からは出ている。
続いての疑念は、少数株主への配慮・保護などを求める経済産業省が定めた「公正なM&Aの在り方に関する指針」に反している可能性のある点だ。同指針では、対抗買収者の提案機会の確保や買収者と利害関係のない少数株主からの支持などを求めているが、ニチイ学館側はそうしたことに対応しなかった。
ことの発端は、ニチイ学館の創業者である寺田明彦氏が19年9月に死去したことに始まる。「同社の株を保有する親族が相続対策と同時に、継続して会社の支配権の維持を求めたために考え付いたMBOではないか」などと朝日新聞が報じている。要は、一部の創業家はTOBに応じて株を安く売ることで相続税を低く抑えると同時に相続税支払いの原資を得て、TOB成立後にも再び経営権を持つことを画策したという見方だ。
ベインキャピタル
このTOBを主導したのが、米投資ファンド、ベインキャピタルの日本代表を務める杉本勇次氏だとされる。ベインキャピタルが出資して株式の受け皿となる会社を設立、そこに国内3大メガバンクなどから協力を得て1000億円近い買い取り資金を借り入れたスキームだ。
杉本氏はニチイ学館の社外取締役を兼任している。自身が関係する会社がMBOで主導的な役割を果たすこと自体が、社外取締役の独立性や利益相反の観点から問題があると批判されても仕方ないのではないか。
前述した経産省の指針は、経営陣がMBOを行う場合、不当に安い価格で株を買い取り、少数株主をないがしろにするリスクがあるため、経産省・産業組織課が07年にできた旧指針を改定して少数株主の保護を明確に謳ったものだ。これは、少数株主を重視する国際的な流れに対応するものだ。
本来、独立性の高い社外取締役であれば少数株主の権利を代弁する立場にあるはずだが、杉本氏の場合は逆にその責務を果たすどころか、少数株主を怒らせたことで、東京地裁への申し立てにつながったと見られる。
そして、指針の改定作業に協力したのが、大手法律事務所の森・濱田松本法律事務所。しかし、今回のニチイ学館の少数株主の権利をないがしろにしたとされるMBOに関してベイン側に協力したのも、同事務所だといわれる。ローファームとしての見識が問われるのではないか。
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー
ニチイ学館に5%未満を出資して少数株主の一角を占めていたリム・アドバイザーズが特に問題視していると見られるのが、1株当たり1670円という買い付け価格だ。同社は合理的かつ公正な価格として2400円を主張していた。
価格の決定についてニチイ学館は20年5月8日、公正性を担保するためだとして、第三者算定機関及びファイナンシャルアドバイザーとしてデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社(DTFA)を選んだ、と発表。DTFAの助言を受けて当初は買い取り価格を1500円に設定した。その後、買い取り価格を1670円に引き上げ、TOBの終了日も20年8月3日から同17日にまで延長してTOBを成立させた。
しかし、同社が第三者として本当に公正な価格を算定したのかとの証言が出始めている。これが3つ目の疑念だ。DTFA関係者がこう語る。
「(ファイナンシャルアドバイザーの契約を結ぶ直前の)3月にグループ会社も含めて全社員向けに、ニチイ学館系の家事代行サービス会社『サニーメイドサービス』から特別優待として無料でサービスが受けることができるとの連絡が来た。あとでニチイ学館と契約したことを知って、こんな無料サービスで利益供与を受けていては第三者としての中立性が保持できるのか疑問を感じた」
ある大手コンサルティング会社の役員は「これが事実だとしたら、許される行為ではない。信じられない話だ」と指摘する。DTFAといえば、4大監査法人系のデロイト トーマツ合同会社のグループ企業だ。同社は監査や企業統治(ガバナンス)対応のプロ集団といっても過言ではなく、日本の有名大企業をクライアントに抱えて信用もある――。そう思いたいところだが、コンサルティング業界では「中央官庁の一部では出入り禁止状態になっている」(別のコンサルティング会社中堅幹部)といった声も漏れてきて驚くばかりだ。
その中堅幹部によると、同じグループ企業のデロイト トーマツ コンサルティング合同会社(DTC)は防衛省などに出入り禁止になっているという。その理由は18年9月にグループを束ねるデロイト トーマツが、アジア地域統括会社のデロイト アジア パシフィック(AP)の支配下に置かれるようになり、APの主要幹部に中国共産党幹部の女性がいたからだ。このため、防衛省は将来戦闘機の開発に関する調査研究についてDTCと交わしていた契約を停止したという。防衛省は中国への情報漏洩を恐れて出禁にしたのだろう。
「19年春に日本のデロイトとAPとの関係の話が各省庁の事務次官を集めた会議で話題になり、当時の菅義偉官房長官からデロイトには注意するようにとの指示が出た」(中堅官僚)とのことで、情報が一気に広がり、政府調達からデロイトを締め出す動きにつながった。
この問題については日本経済新聞が19年6月21日付朝刊の一面で報じた。防衛省から他省庁にも「飛び火」したため、DTCは「川原均経営会議議長が、APの女性は全人代(国会)所属ではなく中国人民政治協商会議の所属だから大丈夫です、と必死に火消しに回っていましたが、それが逆に失笑を買い、信用をさらに落とした」(前出、中堅官僚)。同会議は「統一戦線」であり共産主義を対外的に広める活動などをしている。現在の同会議主席の汪洋・元副首相は党内序列4位だ。全人代所属ではないから大丈夫という理屈が通るはずもない。
さらに、「業界でDTCが問題視されているのは、現在進行中の損害賠償請求訴訟が影響しているようだ」と語るのは、ある経済ジャーナリストだ。「DTCで防衛省などを担当していた担当役員がAPの支配下に置かれた後に、こんな体制では機密情報の管理に責任が持てないと言って他社に転職し、それに大勢の部下が付いて行って退職したのですが、これをもってDTCはその役員に対して『引き抜きの代償を払え』と迫って東京地裁に民事訴訟を起こしているといいます」。
コンサルティング業界では引き抜きは珍しくなく、転職も当たり前なのに、その訴訟はまるで腹いせのように見えるため、DTCの対応が法曹界でも話題になっているのだ。
「引き抜き調査などの対応にかかった経費を算出し、その支払いの証明としてネットバンキングからダウンロードしたエクセルのような出金明細の資料を法廷に証拠として提出していますが、簡単に偽造できるような代物です。普通は銀行がこの出金明細に間違いはないといった一筆を添えるのでしょうが、それさえありません」(関係者)
コンサルティング会社にない、監督官庁と「業法」
こうしたDTCの動きは、中央官庁や大企業間でさらに悪い評判となって広がり、取引を敬遠する組織も出ている。このため、「デロイト トーマツの業績は、数年前に比べて伸び率が鈍化し、予算計画を達成できない時もある。単価の安いシステム開発に手を出し何とかしのいでいる状態であり、グループCEOの永田高士氏の経営責任を問う声が社内の一部から出始めた」とDTCの幹部は説明する。
これに焦ったのか、永田氏自らがトップセールスに動き、「頼ったのが当時首相だった安倍晋三氏の信頼が厚い経産省出身の今井尚哉秘書官だった」(前出・幹部)という。コロナ禍対応の持続化給付金の事務委託先として、電通などを母体とする一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」をめぐって選定の経緯が不透明だと批判が上がった問題を受け、20年9月から二次補正予算の委託事務先が変更になった。新たな事務委託先として指名競争入札で落札したのがDTFAで、その背後に今井氏がいたというのだ。
「サービスデザイン推進協議会が選ばれる際、DTFAとのコンペになり、価格はDTFAのほうが安かったのになぜか漏れた。その理由は、防衛省の問題もあって要注意企業との認識があったからだろう」と大手紙記者は見る。
このため、新たな事務委託先の選定では指名競争入札に加えてもらうように永田氏が渋る今井氏にしつこく迫ったという。その時期が安倍政権末期だったため、どさくさに付け込んで押し切った形だ。落札後、永田氏は「俺が今井秘書官を動かして落札したと社内外で吹聴しまくっている」(同)そうだ。こうした機微な情報が漏れてくるのは、「かつてに比べ業績は悪いのに永田CEOは自身の報酬を3倍近くに引き上げた」(同)ことが内部で不評をかっているからだろう。
こうしたことがまかり通るのは、公的な仕事をするコンサルティング会社に監督官庁と「業法」がないからだ。監査法人は金融庁が担当だが、監査法人系でもコンサルティング部門が別会社になっていれば、金融庁は「うちの担当ではない」と言って、見て見ぬふりをする。
いわば野放し状態でガバナンスに緩いコンサルティング会社も加担することでニチイ学館のMBOの公正さはゆがめられ、少数株主の利益がないがしろにされたのかもしれない。
ちなみに本件についてリム・アドバイザーズとニチイ学館に見解を問い合わせたところ、リム・アドバイザーズは「回答できない」と返答。ニチイ学館からは「現時点において、少数株主が東京地裁に申し立てを行ったとの情報を当社が把握している事実はございません」との回答が寄せられた。
また、事実確認のためDTFAの大代表電話番号に問い合わせたところ、同社HP上の問い合わせフォームより申し入れをするよう案内されたため、同フォームより質問内容を送信したが、現時点(2021年3月10日18時)で回答は得られていない。