およそ、大学とタテカンには半世紀以上の共存の歴史がある。60年代に全共闘時代というのがあり、多くの大学がロックアウトされたり、タテカンの乱立の時代が始まった。当時のタテカンは政治的なメッセージに満ち溢れていた。
時代は下り、現在の京大のタテカンを見ると、サークルの勧誘やイベントの告知など、非政治的なメッセージ、つまり広い意味での「屋外広告物」に堕したものが多い。しかし、そんななかにあっても、政治的なメッセージや大学を含む体制批判的なものも見られる。以前には当時の総長の辞任を要求するタテカンも掲出された。
今回の京都市の指導に対して、「タテカンは条例違反という無粋」と書かれたタテカンも掲示されたが、なんともウィットに富み、この大学の学生の知的レベルが伺える。
タテカンについての歴史や来歴、多彩なメッセージ性をみると、これを単なる屋外広告物という枠に押し込むのは無理がある。それでは何か、というと、言論活動の立派な媒体だ。
憲法の第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。タテカンは往々にして反体制的であり、批判的な主張を含んできた。憲法で保障された言論活動であるからには、景観保全に優先するはずだ。そして、それが集中しているのは今や、関西では京大ばかりとなった。同志社も立命館も京都市の指導なるものを受け入れてしまっている。
私は全共闘世代だ。大学構内にタテカンが出現して物議をかもした時代に学生時代を過ごした。タテカンを排斥しようとした側が持ち出したのは、「大学の美観」論だった。手づくりで粗暴、手書きなので粗野に映る、だから静謐であるべき大学のキャンパスにはふさわしくない、というのだ。
しかし、大学運営や授業に対する不満、政治や体制、社会に対する世代としての大きな欲求不満の表出、そんな学生ならではの言論表出の手段として、タテカンは存続し続けた。「美観」と「言論」、どちらが本質的に重要なのか、大学人たちも本能的に理解していたからタテカンは定着していった。
街中における街宣車が大きな声で四六時中、主張を訴えるのは、社会生活にとっては騒音となってしまうかもしれない。しかし、選挙期間中に選挙カーが街をまわるのを私たちは受け入れている。あれは、選挙期間中という時間的な限定の下に、言論活動が重要ということで受け入れられているのだ。選挙カーには時間的限定が付与され、タテカンには大学構内という場所的限定が与えられている。
大学にのみ偏在するこの例外的な言論活動を、誰も迷惑をこうむっていない(つまり周辺住民はすでに地域の伝統として受け入れている)のにもかかわらず排斥するのは、自由な言論活動に対する弾圧だと私は見ている。
そして、怖いのはそのような構造に気がつかないで、景観規制の論理をいたずらに学問と言論の府に適用しようとしている京都市役所の役人たちだ。
私は、タテカンの味方だ。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)
※ 本連載記事が『残念な経営者 誇れる経営者』(ぱる出版/山田修)として発売中です。
【山田修と対談する経営者の方を募集します】
本連載記事で山田修と対談して、業容や戦略、事業拡大の志を披露してくださる経営者の方を募集します。
・急成長している
・ユニークなビジネス・モデルである
・大きな志を抱いている
・創業時などでの困難を乗り越えて発展フェーズにある
などに該当する企業の経営者の方が対象です。
ご希望の向きは山田修( yamadao@eva.hi-ho.ne.jp )まで直接ご連絡ください。
選考させてもらいますのでご了承ください。