1897年に京都帝国大学として創立された。建学の精神「自由の学風」が戦前の思想統制に抵触し、1933年、法学部の瀧川幸辰教授の刑法理論が「赤い思想」として鳩山一郎文部相に指摘され、多くの教官が退職する滝川事件が起きた。47年に京都大学に改称。戦前に、西田幾多郎や田辺元などが形成した哲学者集団「京都学派」は、その後、非西洋的でオリジナルなアプローチをする手法として継承されていく。65年に開設された学生寮・熊野寮は極左の拠点としてマークされ続け、令和に入っても公安警察や機動隊が動員されている。一方、ノーベル賞受賞者が多いのも特色で、卒業生から8人、ゆかりのある人物も含めて11人(いずれも自然科学分野)を輩出している。ゆかりのある人物はアジアの大学で最多である。