もう数年前の話になるが、年長の同業者が嘆いていた。「最近どうしても本にしたいような経営者がいないね」。思わずうなずいてしまった。昭和の時代には本田宗一郎、盛田昭夫、松下幸之助、土光敏夫、山崎種二の各氏など、その人生や行状が、著名な作家や書き手によって幾度も書籍化された企業経営者が数多く存在した。しかし平成に入ってからは、京セラの稲森和夫氏と、海外逃亡を続けている日産自動車の元経営者氏くらいだろうか。
それだけ日本経済が成熟化したのか、さらには衰えつつあるのか。いずれにしても数多くの人々が注目し、憧憬や共感を覚えるような、絵になる経営者が少なくなってしまったことは間違いあるまい。
多様性と逆行する大企業トップの均質化が、さらに進行したように思える令和の現在、数少ない例外といえるのは、永守重信日本電産会長だろう。1973年に起業して、当時日本には定着していなかったM&Aを駆使した積極果敢な経営で業容を拡大。精密小型モーターで世界トップの占有率を持つ巨大企業グループを育て上げた。経営者として別格の輝きを放つのは、やはり徒手空拳、そして一代で今日の地位を築き上げたからであろう。
同社のホームページにある沿革は、次のような熱い前書きから始まっている。「世界一になる!この思いのもと、社員4名、小さなプレハブ小屋から日本電産はスタートしました」。零細な町工場から出発して、世界有数のメーカーにまで発展、飛躍させた最後の事例になるのかもしれない。
大学のブランド力の堅固さ
その異能派経営者が、近年畑違いの分野に進出している。大学の経営である。2018年に京都学園大学の理事長に就任、翌年には校名を京都先端科学大学に変更、同時に運営する学校法人も永守学園に代わった。最高学府をM&Aで入手することを揶揄する向きはあるようだが、もはや古い認識であろう。
この数年、少子化の定着による冬の時代によって運営に苦しみ、他の法人に吸収される大学、短大は珍しくない。前身の京都学園大学も定員割れに苦しみ、エリア内での評価は芳しいものではなかった。組織再生の実績が豊富なカリスマ経営者に見いだされたことは、むしろ僥倖といえるのかもしれない。
新たに大学のトップの座も得た永守氏は意気軒高だ。日本経済新聞社(3月23日朝刊)のインタビューで「理事長就任時、2025年に関関同立を抜き2030年には京都大学を抜くと宣言した。ほらではない」と答え、同様の発言を他の大手紙、経済誌でも繰り返している。挑発的な発言の背景には、現在の大学教育に対する強い危機感、教育行政への根深い不満があるようだ。
再出発するかたちになった京都先端科学大学の、今後について予測することは控えたい。永守効果によるものか、志願者数の増加や難易度の上昇は見られるようだが、大学の場合も初物人気は生じがちなもので、現時点で評価をするのは早計であるからだ。
ただ確実にいえるのは、同校とそれを率いる永守氏が、これから序列の壁の分厚さを痛感することだろう。四半世紀にわたって大学を見てきたが、長い歴史、難易度、社会的な実績の3つの要素を基本にして形成されている序列、言い換えれば大学のブランド力の堅固さは、流動的な余地のある民間企業とは比較にならない。実際に自他ともにトップクラスと認められる大学はその3要素を十分に備えており、すべて優位にある。一方ですべてが下位にあった大学が、それを凌駕した例は残念ながら見当たらない。
(文=島野清志/評論家)