明治の初めに創業した老舗、木村屋総本店副社長の福永暢彦氏は、外部から送り込まれた経営者だ。従来のやり方に慣れ親しんだ社員たちや業界慣習と向かい合い、この老舗を見事によみがえらせた。回復フェーズを通過し、成長フェーズをうかがう福永氏に、前回に続き、これまでの苦闘とこれからの展望、戦略を聞いた。
職人神話にメスを入れることから始まった木村屋総本店袋パン事業改革
――木村屋総本店は著名なあんぱんで勝負すればいいのではないでしょうか。
福永暢彦氏(以下、福永) スーパー・コンビニ向け事業においては、あんぱんは5%ほどの売上比率しかありません。袋パンでも「あんぱんのキムラヤ」という知名度はあっても、袋パンのマーケットで求められているのは、あんぱんだけではありません。我々は、あんぱんだけでない「強みとこだわりが詰まった袋パン」で成長していかなければなりません。伝統の美味しい袋パンのあんぱんの認知度を上げていくためにも。だから、方向性を明確にしていくために、スーパー・コンビニ向け事業ではあえて「あんぱんのキムラヤとの決別」という言い方をしてきました。決して「あんぱんのキムラヤ」を否定しているのではありません。袋パン分野での当社の認知度はまだとても低く、ポテンシャルは極めて大きいと感じています。
――「あんぱんのキムラヤとの決別」というのは、古くからいる社員にとっては抵抗のある方向付けだったのではないでしょうか。
福永 そのとおりです。でも私の着任前は、古いやり方、考え方に皆がとらわれていたからこそ、本来持っている伝統や強みが生かし切れていなかった。皆の考え方を変えていけば、袋パンのあんぱんの製造を続けてきたからこその強みを生かしていけると考えています。
――再生経営者としては、そうでなければいけません。
福永 実は、あんぱんに対する思い入れだけでなく、袋パンの製造における職人技神話にもメスを入れました。パンをつくるには、その日その時の気温、湿度、使う水の温度などの微妙な違いを個人で判断しながらつくらなければいけない、と社内では言い伝えられていました。私はそれらを基準・手順の見える化と数値化をして、基準・手順に沿って作業するように改めました。定められた基準と手順による製造プロセスへ転換させたのです。