大変身で奇跡の復活を遂げたが……
ミクシィは、日本における会員制交流サイトの草分けである。ITビジネス草創期の1999年に東京大学経済学部の学生だった笠原賢治氏が求人情報サイトを始めた。04年にSNSへ進出し、若者たちの圧倒的な支持を得た。イー・マーキュリーからミクシィへ商号変更した後、06年9月に東証マザーズへ上場。笠原氏は若きIT起業家の輝ける星と呼ばれ、時代の寵児となった。
パソコンや従来型携帯電話の広告を収益源としていたが、スマホの台頭で業績が低迷。10年、SNS世界大手の米フェイスブックが日本に上陸してきたことで窮地に立たされた。
11年11月、事業方針を転換。ミクシィゲームを新設してソーシャルゲームに進出。ビジネスモデルを広告から課金モデルに変更した。しかし、ソーシャルゲームに出遅れたことで業績不振が続いた。
12年5月にはミクシィの身売り話が持ち上がり、経営幹部の離脱が相次いだ。13年5月、経営責任を取り、創業社長の笠原氏は代表権のない会長に退き、新社長に朝倉祐介氏が就いた。この頃がドン底だった。
社長が代わっても再建はならず、14年3月期に2.2億円の最終赤字に転落。14年6月、朝倉氏は1年で社長の椅子を下り、後任に森田仁基氏が就いた。笠原氏は17年9月末時点で46.47%の株式を保有するオーナーであることに変わりない。笠原氏との関係が悪化したことが、トップ交代の原因とされた。
このころに、神風が吹いた。13年9月に投入したモンストがヒットしたのだ。同ゲームは、基本プレイは無料だがアイテム課金が収入源となる。
15年3月期の売上高は前期比9.3倍の1129億円、当期純損益は前期の赤字から329億円の黒字に転換した。その後もモンストの快進撃は続き、18年3月にモンストの世界累計利用者数は4500万人を突破した。
18年3月期の売上高は前期比3.5%減の2000億円、当期純利益は同32.9%減の402億円の見込み。ボトムだった14年3月期の売上高(121億円)の実に16.5倍。モンストさまさまとはいえ、さすがに成長ドライブに陰りが見えてきた。
ゲーム業界は浮き沈みが激しい。一発当たると大化けするが、消えるのも早い。
森田氏はチケット2次流通サイトを買収して次の成長の柱と位置付けたが、高額転売問題で頓挫した。木村氏は、“ポスト・モンスト”として、何を具体的な成長の柱に据えるのか。
(文=編集部)