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ホテルオークラを訴える「久兵衛」への誤解…「すきやばし次郎」と同列に論じるのは間違い

文=深笛義也/ライター

 訴訟として成り立つのか? 

 誰もが首をかしげるのが、高級すし店「銀座久兵衛」による「ホテルオークラ東京」に対する、1000万円の損害賠償を求める裁判である。

 装いを新たに2019年9月12日、ホテルオークラ東京は「The Okura Tokyo」として開業する。1964年から50年以上、オークラ直営の高級和食店「山里」の隣というメインエリアに久兵衛は出店していた。だが「The Okura Tokyo」では「山里」とは別の棟にある「アーケード街の片隅」を指定されたという。

 11月12日に第1回口頭弁論が東京地裁で開かれたが、「高級飲食店の格を著しくおとしめた」とする久兵衛側に対して、オークラ側は請求の棄却を求め、真っ向から対立している。食評論家で文教大学教授の横川潤氏は、この問題をどう見るのか。すしの世界での久兵衛から語っていただいた。

「少し長い歴史から見ると、高級すし屋というのは頑固親父がいてハードルが高くて一見さんは入れませんでした。久兵衛はそういうイメージからかけ離れて、『シャリはこのくらいの硬さでよろしいでしょうか』って聞くくらい、お客さんに寄り添うサービスの良さで明朗会計。高級すし店としては入りやすくなりました。もちろん質も高くて、すしの世界では堂々たる横綱の地位にいました。だけどこのせいぜい20年くらいの間に、ほかにいいすし屋がいろいろ出てきて、高級すしの業界図が激変したんですね。では東京で今、一番美味しいすし屋はどこかといったら、やっぱり『すきやばし次郎』になると思います」

 2014年に来日したオバマ米大統領(当時)と安倍晋三首相が会食したのが、「すきやばし次郎」。大統領は「今まで食べたすしのなかで最高だ」と言ったという。だが、今年来日した際にオバマ前大統領を安倍首相がもてなしたのは、「銀座久兵衛」だった。どちらもセレブを接待するのにふさわしい店であることは確かだ。

「久兵衛vs.すきやばし次郎」という図式は時代遅れ

「今回の件に関する報道で、高級すしの代表格として『久兵衛vs.すきやばし次郎』という図式が語られていますが、これは成り立ちません。複数店舗を抱えながらもあれだけのクオリティとサービスを保っている久兵衛はもちろん立派なブランドであり、組織です。ただ個人の技倆でがんばっておられる、すきやばし次郎と同列に論じることは誤りです。

 すきやばし次郎はミシュランで三ツ星をもらっていますが、じっさい小野二郎さんの寿司は最高のネタを使った究極ともいうべき職人芸です。シンプルに味だけのことをいえば、すきやばし次郎が横綱とすれば、張出横綱すら見当たらないくらい突き抜けた存在だと思います。

 ほかにもいろいろ優れた店が出てきましたね。1993年に中澤圭二さんが開いた『すし匠』は、小ぶりのすしとつまみを交互に出すというスタイルですし界に大きな衝撃を与えました。高級すしの需要というのは、やはり接待とデートだと思います。それを考えると、すしがドーンドーンと次々出てくると、なんとなく慌ただしいし、お酒にも合わないところがあるでしょう。すしも、当時としては珍しかった炙りものとか、マニアックなネタを使ったりして、異端といえるくらいの変化球を出していました。世界的に有名になってしまって、今はホノルルのリッツカールトンのメインフロアで営業されています。東京では『すし匠』を独立したお弟子さんたちが『すし匠系』を名乗って一派を形成していますが、元をたどると、実は中澤さんも久兵衛で働いたことがあるんです。

 ほかにも新しいすしをやりたいっていう若い人がいっぱい出てきていて、久兵衛で修行したという人が目立ちます。銀座に本店があって海外にも店を出している『かねさか』もそうで、お酒飲みの好きなそうな構成にしたり、高級なシャンパンを置いたりしています。ミシュラン三つ星の『鮨さいとう』も久兵衛の出身ですね。6人しか座れない豪華なカウンター席で最高級のネタが楽しめるという贅沢感で際立っています。銀座で今、もっとも予約が取れない人気店といえば『鮨あらい』ですが、当主は『すし匠』と『久兵衛』で働いたキャリアの持ち主です。私が注目している吉祥寺の『さき田』の当主はホテルニューオータニの久兵衛にいた人で、宴会のときに数時間で何百貫と握るので、それで自分の技を磨いたんだそうです。

 すし界において久兵衛は総本山ともいうべき存在ですが、もともと創業80年の歴史の少なくともその前半は軍艦巻きの考案で知られるように、むしろ急進派でした。しかし現在の店舗では、お得意さまというのがけっこう年輩の方が多いし、久兵衛というブランドで来ているお客が大半です。お店が銀座だとか高級ホテルの中にあったりして、お客さんが全国から集まってくるので、新しいチャレンジを理解してくれない部分もあって、どうしても旧守的なフォーマットでやらざるを得ないんですね。

『シャリはこのくらいの硬さでよろしいでしょうか』って聞くというのも、久兵衛さんなりのホスピタリティーでしょうけど、世界中の料理を食べ慣れている最近の食通からすると、『そういうことは客に聞くもんじゃなくて、つくり手が決めるものでしょう』ということになって、時代のニーズとミスマッチになっている部分があるのではないですか。

 久兵衛は一見客や観光客も相手にしていて、多くのお客さんに質の高いすしを提供しているという点で大いに評価すべきだと思います。でもやっぱり、グルメを自称するような人はあまりにも有名だったり、複数店舗を構えるところから足が遠のくということがありますよね。久兵衛の質とサービスはまったく以前と変わらずに高いものですけど、いろいろな外的な要因で、すしの世界での横綱ではなくなってきたということです」

時代の波にさらされる老舗

 新ホテル「The Okura Tokyo」のメインエリアの「山里」には、久兵衛から独立した従業員が立ち上げた競合店が入るという。これに憤慨して久兵衛側は訴訟に踏み切ったのではないかとも伝えられている。

「すし界において久兵衛はいわば登竜門のような存在で、スターダムにのし上がるための一つの貴重なステップになっていたと思います。やはりいい教育をしているということがあるでしょう。何よりも長年培った常連客が、芸術家や政治家、芸能人など各界の著名人、経済界の成功者だったりするわけで、そういう人たちを相手に握るのは、ものすごくいい修業になると思います。そういう上客はオークラの最高のお客さんの層と重なるわけです。優秀なすし職人を輩出するというのが、久兵衛の役割としてあったと思いますが、そうした人たちが逆に新しいオークラのメインダイニングに入るというのは、久兵衛のほうとしては割り切れない気持ちがあるのではないでしょうか。

 時代の波にさらされているのは、オークラも同じでしょう。老舗ホテルの御三家ですけど、この十数年で外資系の超高級ホテルが続々とオープンしましたね。たとえば若いカップルが奮発して東京のど真ん中に泊まろうというときに、オークラじゃなくて、リッツカールトンだとかマンダリンオリエンタルとか、名前もかっこよくて夜景もきれいなホテルを選ぶかもしれない。やはりオークラは年輩のお金持ち向けのホテルというイメージがありますよね。必ずしもオールマイティな横綱とはいいづらくなっているかもしれません。

 そういう背景もあって、歴史的な建造物ともいわれた本館を壊してまで巨大なビルを建て、伸るか反るかの大博打に出ているんですから、メインの場所にただ単に新しいものを持ってくるというのは、考え方としてはイージーなんじゃないかと思います。双方ともブランド力としては今でも横綱級なのですから、『久兵衛もオークラも一緒に生まれ変わろうよ』というアプローチをしたほうが、すごくおもしろいものができた可能性があると思います」

 名門すし店が名門ホテルを訴える前代未聞の訴訟からは、いったい何が生み出されるのだろうか。
(文=深笛義也/ライター)

深笛義也/ライター

深笛義也/ライター

1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。10代後半から20代後半まで、現地に居住するなどして、成田空港反対闘争を支援。30代からライターになる。ノンフィクションも多数執筆している。

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