日本製鉄が10月14日、トヨタ自動車と中国の鉄鋼メーカーの宝山鋼鉄を相手に電磁鋼板の特許を侵害しているとして提訴したことに波紋が広がっている。トヨタと日鉄といえばそれぞれ自動車メーカー、鉄鋼メーカーを代表する大企業同士で、両社は長年にわたって盟友と呼べるほど深い関係にあった。しかし「原価低減」の名のもと利益を搾取し続けるトヨタに対して、日鉄が反旗を翻した。こうした動きにトヨタの取引先は静観しながらも喝采を浴びせている。
日鉄は宝山鋼鉄が製造する電磁鋼板が日鉄の特許を侵害しており、この宝山鋼鉄の電磁鋼板をトヨタが電動車に採用しているとして、宝山鋼鉄とトヨタにそれぞれ損害賠償200億円を求めて東京地裁に提訴した。日鉄はトヨタに対して、この電磁鋼板を使ったモーターを搭載した電動車の製造・販売の禁止を求める仮処分も申請するほどの強硬な姿勢を示している。
日鉄にとってトヨタは、鋼材の最大の納入先であり、両社は長年にわたって密接な関係を続けてきた。それが一転、材料メーカーが最大の納入先を提訴するという異例の対応に踏み切ったのは、「盟友」だったはずの両社の関係が変化してきたことにある。
国内の自動車メーカーと鉄鋼メーカーは鋼材納入価格を半期ごとに交渉することが慣例となっている。それぞれの業界で国内最大手である両社の価格交渉は「チャンピオン交渉」と呼ばれ、その交渉結果は他社が国内で鋼材価格を決める上での指標にもなっていた。
しかし、自動車生産台数を増やし、規模拡大を続けるトヨタに対して、日鉄は中国や韓国の安い輸入鋼材に押され業績の低迷が続いた。強大化するトヨタの購買力に、日鉄の発言力は弱まり、韓国や中国の安い鋼材価格を引き合いにするトヨタの値下げ要求を日鉄は受け入れざるを得ない状況が続き、鋼材価格の交渉ではトヨタが完全に主導権を握っている。トヨタにとって日鉄は「パートナー」ではなく「下請け」という位置付けに成り下がった。
かつて日本を代表していた名門企業の凋落に、忸怩たる思いを抱いていた日鉄の橋本英二社長は、鉄鉱石などの原材料価格の急騰で韓国などの海外鉄鋼メーカーが鋼材価格を大幅に引き上げたのを機に逆襲に打って出る。日鉄は今春、トヨタとの鋼材納入価格の交渉で大幅な引き上げを要求。トヨタはこれに難色を示し、原材料価格の上昇分だけの価格改定を求めたが、日鉄側は「(韓国系などの)他社から購入してもらって結構」と言い切り、鋼材の供給量制限も匂わせた。
海外製鋼材の価格が急騰していることもあって、日鉄から鋼材供給が制限されると自動車生産に支障が及ぶ。こうしてトヨタは日鉄の「過去最大の値上げ」を受け入れざるを得なかった。トヨタでは、調達部門を中心に日鉄を怨嗟する声は強まり、海外製鋼材の調達量を増やすための取り組みを始めているという。
日鉄の怒りを買ったトヨタの行為
今回の電磁鋼板をめぐる争いは、トヨタ対日鉄の第2ラウンドとなるものだ。電磁鋼板は電動車のモーターに使われる材料で、電気自動車の航続距離など、電動車の性能に大きく影響する重要な材料だ。日鉄は早くから電磁鋼板の技術を確立し、市場をリードしてきた。しかし、中国や韓国の鉄鋼メーカーも相次いで参入、高収益だった電磁鋼板の市場価格が下落し、電磁鋼板を成長事業としていた日鉄にとっては痛手となっている。
それでもカーボンニュートラル化に向けて自動車メーカーが電気自動車をはじめとする電動車に重点を置くなか、電動車向けモーター市場の大幅な拡大が見込まれ、電磁鋼板の需要も大幅に増えることが予想される。しかし、電動化するためにトヨタがとった施策が日鉄の怒りを買うことになる。
日鉄はトヨタの世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」向けに電磁鋼板を供給するなど、電磁鋼板の開発や生産でも両社は深く結びつき、日鉄はトヨタ向け電磁鋼板で高いシェアを持つ。しかし、トヨタは約2年前、宝山鋼鉄の中国製の電磁鋼板の採用を決定した。日鉄の電磁鋼板よりも安いためとみられる。先端材料の開発で協力してきたはずのトヨタに裏切られた格好になった日鉄は、宝山鋼鉄の電磁鋼板を調査。この結果、この電磁鋼板の厚みや成分などが日鉄の特許を侵害していることが明らかになった。
日鉄はこの事実をトヨタに伝えたもの、トヨタは「宝山鋼鉄の電磁鋼板の取引契約を締結する前に他社の特許侵害がないことを確認した上で契約した。(日鉄の)指摘を受けて、改めて宝山鋼鉄に確認したが。特許侵害はないとの見解が示された」と説明するにとどめ、宝山鋼鉄からの調達を継続する姿勢を堅持した。トヨタは調達する素材や部品のコストにしか興味がなく、「特許侵害していたとしても、それは宝山鋼鉄の問題」との認識だからだ。最大の取引先であるトヨタまで特許侵害で提訴されるとは想定していなかった。トヨタが日鉄を規模の大きい下請けの1社としか見ていない表れでもある。
日鉄を応援するサプライヤー
日鉄の提訴を受けて公表したトヨタのプレスリリースには「日本製鉄がユーザーであるトヨタに対して、このような訴訟を決断したことは改めて大変残念」とある。トヨタと取引のあるサプライヤーは「普段はサプライヤーのことをパートナーと呼びながら、いざ提訴されると、お客(ユーザー)を訴えるのかと強調するところに、トヨタがサプライヤーをどう位置付けているか透けて見える」と指摘する。
日鉄がトヨタに対して強気な姿勢を続けているのは、日鉄が2021年3月期連結業績が2期連続赤字となり、高炉を閉鎖するなど経営再建しているなかで、トヨタが好業績を続けていることも背景としてある。日鉄としては電磁鋼板の件も含めて、鉄鋼メーカーなどのサプライヤーを踏み台にして成長するトヨタと円満な関係は継続できないと判断した。
強大な購買力を背景に、サプライヤーに対して「原価低減」の名のもと、厳しいコスト低減を要求し、これを原資に業績を伸ばしてきたトヨタ。これに真っ向から対決姿勢で臨む日鉄を応援するサプライヤーは少なくない。一方のトヨタは日鉄の提訴を機に、トヨタの調達に対するサプライヤーの不平や不満が爆発して、コントロール不能になることを極度に怖れている。
日鉄の提訴後、自社のテレビCMに出演するなど普段は目立ちたがり屋の豊田章男トヨタ社長は記者会見を開くわけでもなく、雲隠れしている。自身が会長を務める日本自動車工業会の会長記者会見は中止となり、トヨタの21年4-9月期決算発表会見も欠席するとみられる。
「盟友」だったはずの日鉄が袂を分かち、トップの指導力も不在となったトヨタ。日鉄との争いを教訓に、サプライヤーに対する原価低減の手を緩めると、トヨタ本体の業績が悪化するのは確実。今後、鉄鋼メーカーをはじめとするサプライヤーにどう接していくのか、その対応が注目される。
(文=桜井遼/ジャーナリスト)