日本の相対的貧困率は年々上昇しており、貧困化が進んでいるといわれている。貧困率が上がっているのは事実だが、昔は低かったのかというとそうではない。日本全体がバブル景気の豊かさに酔いしれていた1988年ですら貧困率は13.2%もある。圧倒的に豊かだと思われていた時代においても、日本の貧困率は高かったことがわかる。
長期の統計が揃っているフィンランドの貧困率を見ると、1980年代後半は5%台後半、現時点では6%台前半なので、貧困率はずっと低いままである。日本は最近、貧困化が激しくなったのではなく、ずっと昔から貧困問題を抱えており、最近、それが顕著になったに過ぎない。
昔から所得の低い人が多数、存在していたにもかかわらず、それが認識されていなかったのだとすると、それは大きな問題といえる。ではなぜ、日本は豊かで格差が少ない国であるという誤った考え方が定着していたのだろうか。それは情報共有の手段が制限されていたからである。
マスメディアはマス層以外は排除してしまう
ネットが社会に普及したことの影響はさまざまな分野に及んでいるが、国際的な比較統計の分野における効果は特に大きい。OECD(経済協力開発機構)のような国際機関は、以前から国際的な比較調査を実施しているが、ネットが普及したことによって国際比較調査の難易度は大幅に低下した。
以前であれば、統計結果を知るためには分厚い報告書を入手する必要があり、多くの人にとってハードルが高かった。今の時代は、一連の統計データがすべてネットにアップされるので、一気に多くの人の目に触れることになる。
情報がマスメディアによって独占されていたことも大きいだろう。従来型マスメディアは、ボリューム層である正社員のサラリーマンを主要な読者あるいは視聴者にしており、ニュースも含めてあらゆるコンテンツがこの層を対象に制作されていた。
かつてのテレビや新聞では、なんの疑問もなく、視聴者が一定の所得を持つサラリーマンであることを前提に議論が行われており、無意識的にそれ以外の立場の人たちを排除していた。つまり、かつての日本では、低所得にあえぐ人というのは存在しないことになっており、一部では今でもその感覚が継続しているとみてよい。
意図がないことの恐ろしさ
月収30万円を低所得としてしまった今回の広告コピーは、世代間論争ではなく、ボリューム層以外を無意識的に(現実にはかなり暴力的に)排除してきた日本社会そのものと問題と捉えたほうがよい。
無意識的にマス層以外を排除するという感覚は、多様性が求められる今のグローバル社会においてはもっとも不適切な価値観とみなされる。
客観的に見て、日本社会は外国人やマイノリティに対して排他的な社会だが、多くの日本人は排他的な対応をしているという感覚を持っていない可能性が高い。もし意図的に外国人を排除しているのであれば、相手とは交渉というかたちでコミュニケーションを取る方法が残されているが、意図がない場合には、最悪の場合、コミュニケーションそのものが成り立たない。
今回の広告の一件は、移民問題やインバウンドビジネスなどにも影響する極めて重大なテーマだと考えたほうがよいだろう。
(文=加谷珪一/経済評論家)