メディアでは「親の所得格差が子の教育格差を生み、貧困が連鎖する」という記事をたびたび目にします。「親の経済力によって大学進学率に差がつくのはおかしい」「親が貧しく進学させてあげられないから教育格差が生まれ、子も貧しくなる」「奨学金の返済で将来苦しむのはおかしい」と考える人は多いようで、奨学金の無償化や、公的な教育投資を増やすような論調が大きくなっています。
しかし、それは「大学に行けばすべて解決する」「カネを配れば万事解決」と言っているようなもので、本質ではありません。
確かに相関関係はあるかもしれませんが、私は直接的な因果関係ではないと考えています。昨今ではすでに高等教育を受ければいい会社に就職もできて安泰という図式は崩れつつあります。大卒でも貧しい人はたくさんいます。
また、奨学金制度があるので経済的理由で大学に進学できないというケースは稀です。奨学金返済の問題も、たとえば親自身が自制して借り過ぎさせないようにするとか、返済についても子としっかり議論し、真剣な学生生活を送るよう言い聞かせることもできるでしょう(私自身、高校・大学には奨学金で進学し、15年かけて完済しました)。
それよりも、貧困が連鎖する本当の原因は親の子育てにあるのではないか、というのが私の考えです。たとえば、難しい課題に取り組もうとしない、新しい仕事に挑戦しようとしない、逆境を乗り越えて目標を達成しようとしない、勉強して能力を高めてより成長しようという意欲が低い、つまり親自身が勉強することの価値を理解していない場合、「学ぶこと、努力することによってのみ自分を成長させることができるのだ」ということを、子どもに伝えることはできません。
「勉強しろ」「早く宿題を済ませろ」などというのは、教育でも躾でもなんでもなく、単なる強制です。大人でも会社で上司から「仕事しろ」「さっさと終わらせろ」などと言われたら気分は良くないでしょう。親でさえモチベーションが下がる言葉を自分の子どもには使うとしたら、なんという矛盾でしょうか。
そして、そういうマインドは当然、日常生活での親の振る舞い、そして子どもにかける言葉にも違いが出てきます。「自分にはムリ」と思っている親の口から出る言葉は、「お前にはムリ」ではないでしょうか。じっくり考えるのを面倒くさがる親は、子どもが「それ、どういうこと?」と、聞いてきても「知らない」「どうでもいいよ」で終わってしまうかもしれません。
また、親が感情的になりやすく、よく子どもを怒鳴ったり、「とにかくダメだ」などと理由のない命令をしていれば、子どもも当然それを見習います。