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不正の沢井製薬、経営破綻の可能性も…薬不足が深刻化、ジェネリック信用失墜

文=Business Journal編集部、協力=上昌広/医師、医療ガバナンス研究所理事長
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沢井製薬のHPより

 後発薬(ジェネリック医薬品)最大手の沢井製薬は23日、胃炎・胃潰瘍治療薬「テプレノンカプセル50mg『サワイ』」の品質確認検査で約8年にわたり不正を行っていたと発表した。承認を受けた手順とは異なり、カプセルから内容物を取り出して別の新しいカプセルに詰め替えた検体で溶出試験を行い、合否判定を行っていた。不適切な試験方法は社内の担当者の間で長年にわたり伝承されていた。現在、薬不足が深刻化しており、ジェネリック最大手である沢井製薬が業務停止命令などを受ければ、医療の現場に大きな影響がおよぶ可能性がある。また、同業界では当時最大手だった日医工が製造・検査における不正問題で業務停止命令を受け、昨年に事業再生ADRを申請し事実上破綻したこともあり、沢井製薬も同様の事態に陥る可能性も指摘されている。ジェネリック医薬品業界では、なぜ大規模な不正がたて続けに起きているのか。専門家の見解を交え追ってみたい。

 沢井製薬では2010年、有効期限を超えたカプセルで成分の溶出が低下していることが判明し、15年から古いカプセルに入った薬について内容物を新しいカプセルに入れ替えて試験を行っていたという。ジェネリック業界ではここ数年、大手メーカーの不正が相次いでる。2020年、小林化工の経口抗菌剤(水虫薬)「イトラコナゾール錠」に睡眠導入剤の成分が混入し、服用者に意識消失や記憶喪失などの健康被害が起きていたことが判明。福井県から116日間の業務停止処分を受けた。また、それまで業界最大手だった日医工は21年、10年間にわたり出荷検査で不合格となった錠剤を砕いて再加工したり、再検査して出荷していたことが発覚。75品目を自主回収し、富山県から32日間の業務停止命令の処分を受け、経営悪化に伴い22年に事業再生ADRを申請した。

国全体の医療の質低下につながる

 一連の不正も影響し、医薬品市場では深刻な薬不足が続いているが、背景には政府の政策がある。政府は医療費抑制の切り札として後発薬の普及を促進。その結果、医薬品市場における後発薬のシェアは約8割(数量、出荷ベース)にまで上昇しているのだ。

「患者が直接体内に取り込む薬は命にもかかわるため、もっとも安全性が担保されなければならない。その薬のメーカーでここまで不正が広がっているとなれば、医療の安全性の低下に直結する。ジェネリックはよく『先発医薬品と同じ成分で安価』と説明されるが、そもそも先発医薬品とは違う製品なので厳密にいえば『同じではない』し、効き目もまったく同じとはいえない。ジェネリックの普及が国の医療費抑制の一助になることは事実だが、その普及が国全体の医療の質低下につながっているのであれば本末転倒。新薬開発に巨額の費用を投下する先発薬メーカーの経営圧迫要因になっている面もあり、先発薬メーカーの経営体力を削いでまで信頼性の低いジェネリックを普及させることが、長い目で見て日本全体にとってメリットがあるのか。国の政策は今一度、見直しが迫られている」(大学病院医師)

 また、医薬業界関係者はいう。

「もし沢井製薬にも業務停止命令などが出れば、日医工と同様に経営破綻に追い込まれる可能性は否定できない。業界の2トップが消えれば、薬の供給がさらに逼迫するのは必至。それだけに行政サイドも簡単に厳しい処分を下せない。難しい判断を迫られている。いずれにしてもジェネリックへの信用が失墜したことによる影響ははかり知れない」

厚労省が主導した護送船団方式のなれの果て

 なぜジェネリック業界では不正が相次いでいるのか。また、政府は政策を見直す必要はないのだろうか。医師で特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長、上昌広氏はいう。

「医療現場は深刻な医薬品不足に直面している。私はJR新宿駅ナカの『ナビタスクリニック新宿』で診療しているが、朝は隣接する調剤薬局からの欠品の連絡から始まる。10月24日は、『カロナール500mg、ムコダイン、サワシリンが欠品しており、他の薬を使ってください』と連絡を受けた。医薬品が不足して久しい。当院では夏前から処方制限が始まり、事態は悪化の一途を辿っている。9月にはインフルエンザ治療薬が底をついたこともあった。

 なぜ、こんなことになるのか。それは医療費抑制のために、厚労省はジェネリックの使用を促したが、ジェネリックメーカーに需要に応えるだけの力がなかったからだ。ジェネリックとは特許が切れた医薬品のことだ。どんなメーカーが製造してもいい。一社が不祥事を起こして出荷停止となっても、同じ成分の薬を製造販売している他社がカバーするはずだ。日本で、こうならないのは日本のジェネリックメーカーが零細企業だからだ。

 これは通常の経済常識とは反する。低価格の商品を販売する企業は規模を拡大することでコストを下げ、利益を嵩上げしようとするからだ。世界最大のジェネリックメーカーであるイスラエルのテバ社の2022年の売上は149億ドルだ。大塚製薬(139億ドル)やアステラス製薬(121億ドル)よりも多い。我が国の三大ジェネリックメーカーとされるサワイグループHD (1938億円)、日医工(1791億円)、東和薬品(1656億円)とは規模が違う。

 我が国の問題は小規模のジェネリックメーカーでもやってこれたことだ。それは厚労省が後発医薬品の値段を高く設定していたからだ。『欧米では後発品の値段は先発品の2~4割程度なのに、日本では7割程度とあまりお得感がない』(製薬企業関係者)という状況が続いた。新薬のような巨額の開発費用を要しないのに、高額で販売できるのだから、ジェネリックメーカーは大した企業努力もせずやってこれた。一方、先発薬メーカーは、ジェネリックメーカーの攻勢が弱いため、特許が切れても薬を売り続けることができた。つまり、日本の医薬品市場は『ぬるま湯』だったというわけだ。

 最近になって、厚労省から『薬価を下げながら大量に生産せよ』と言われても、ジェネリックメーカーは対応できない。これが不正の温床で、一社が操業を停止すれば、他社がカバーできない理由だ。厚労省が主導した護送船団方式のなれの果てである」

(文=Business Journal編集部、協力=上昌広/医師、医療ガバナンス研究所理事長)

 当サイトは22年6月29日付記事『ジェネリック最大手の日医工、なぜ経営破綻に陥ったのか?売上至上主義の末路』でジェネリック業界の状況について報じていたが、改めて以下に再掲載する。

――以下、再掲載――

 ジェネリック医薬品(後発薬)最大手の日医工が私的整理の一種、「事業再生ADR」を申請したのは、業績が急激に悪化してからである。2022年3月期の連結最終損益は1048億円の赤字だった。2月時点で予想した赤字(186億円の赤字)の5.6倍。赤字幅は21年3月期の41億円の赤字から急拡大し、債務超過寸前の状態になっていた。

「メインバンクの三井住友銀行から十分な融資枠を確保している」(日医工)と説明している。日医工は日本政策投資銀行や3メガバンクが出資する事業再生ファンド、ジャパン・インダストリアル・ソリューションズ(JIS)から最大200億円の出資を受けることで基本合意したことを明らかにしたが、前途は多難である。

 事業再生ADRには伏線があった。21年3月、製造や品質管理に問題があるとして、主力の富山第一工場(富山県滑川市)で32日間の医薬品製造の停止と、24日間の医薬品製造販売業としての業務停止命令を受けた。21年4月以降、製品の自主回収が相次いでいた矢先だった。

 富山県は事前通告なしに富山第一工場に抜き打ち査察を行い、これが一連の製品回収のきっかけになった。出荷試験によって不適合とされた製品を不適切な手法で再試験することが10年ほど前から行われていたことが判明。別のサンプルを使ったり、錠剤を砕いたあと再び加工したりしていた。

 ジェネリック医薬品メーカーでつくる日本ジェネリック製薬協会(澤井光郎会長=沢井製薬会長)は20年3月、日医工を5年間の正会員の資格停止処分にした。除名処分の次に重い処分である。

ジェネリック急拡大の背景

 肥大を続ける医療費を抑えるため、政府はジェネリックの使用を促進してきた。2005年に32%だったジェネリックの使用割合は20年秋には78%まで急上昇した。追い風に乗り日医工の業容も拡大した。田村友一社長は「売り上げ至上主義者」(日医工の関係者)といわれている。M&A(合併・買収)を連発して急成長を遂げた。

 M&Aの軌跡を辿ってみよう。日医工の創業は1965年にさかのぼる。53年、富山大学薬学部を卒業した田村四郎氏が日本医薬品工業を設立し、ジェネリック医薬品の製造・販売を始めた。新薬の特許が切れた薬と同じ成分ものを後発医薬品として売り出す。新薬メーカーのように多額の研究開発投資を必要としないため価格を安くできる。価格は新薬に比べて3割から7割安かった。

 2000年、創業者の長男、田村友一氏が社長の椅子を引き継いだ。学習院大学文学部心理学科卒。住友商事を経て、米シアトル・パシフィック大学に2年間留学。国内外で武者修行をした後、89年、日本医薬品工業に入社した。2005年、社名を日医工に変更した。1981年、名証・大証2部に上場、2006年、名証・大証1部に昇格した。10年には、悲願としていた東証1部に上場した。現在、プライム市場である。

 04年、マルコ製薬の事業を引き継いだ(現・愛知工場)のがM&Aの始まりだった。08年、テイコクメディックスを子会社にした(現・埼玉工場)。14年、アステラス製薬子会社の工場を取得(現・静岡工場)。16年には米国市場を開拓するため、ジェネリック注射剤製造の米セージェント・ファーマシューティカルズを手に入れた。

 18年、エーザイの子会社エルメッドエーザイを170億円で買収。まず株式の20%を握り、19年4月、完全子会社にした。エルメッドエーザイの売上高は280億円。買収により日医工の国内シェアは15.8%となる。業界トップの沢井製薬を抜いて首位の座を固めるのが狙いだったとみられている。

「ジェネリック医薬品は規模で戦う時代に入った」。田村社長はエルメッドエーザイの買収を発表する記者会見でこう強調した。「将来は世界トップ10入りを目指す」と胸を張った。21年2月、武田薬品工業が49%出資する武田テバファーマから後発薬事業を買収し、高山工場を譲り受けた。

 M&A攻勢で売上高は急増。田村氏が社長になった当時100億円だった年商は、20年3月期には1900億円と19倍になった。「次の20年間で年商5000億円にする」(田村氏)と豪語していた。20年3月期にジェネリック業界の盟主が交替した。日医工の売上収益(国際会計基準)が沢井製薬(現サワイグループホールディングス)を抜いて首位に躍り出た。しかし、利益では東和薬品を入れた大手3社のなかで、日医工が一人負けの状態だった。

 日医工はM&Aで自社にない医薬品を手に入れた結果、製品のラインアップは1220品目にまで膨らんだが、これが足かせとなった。700品目後半の沢井製薬や東和薬品を品揃えでは6割程度上回るが、他社が撤退した採算の悪い医薬品を多く製造していたことから、かねがね規模の大きさが利益に結びつかないと指摘されていた。

「M&Aでひたすら規模を追い求めてきた拡大路線が、大規模な自主回収を繰り返し、業務停止命令を受ける原因になった」(医薬品担当のアナリスト)

 日医工は生き残りを考えていた。21年9月、医薬品卸大手のメディパルホールディングスから9.9%の出資を受けたが、抜本的解決策にはほど遠い。日医工の21年3月期末の大株主名簿からメディパルの名前は消えている。後発薬そのものの信用にかかわる問題を起こした田村社長の引責辞任は避けられなかったはずだが、田村氏は社長の椅子を手放さなかった。経営責任を明確にせず、中途半端なまま陣頭指揮を続け、とうとう“経営破綻”に追い込まれた。

 日医工の事業再生ADRの申請、事実上の経営破綻で、ジェネリック医薬品業界の再編は待ったなしだ。

(文=Business Journal編集部)

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長

1993年東京大学医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床および研究に従事。2005年より東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム(現・先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年より特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長。
医療ガバナンス研究所

Twitter:@KamiMasahiro

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