13年には不動産価格の先高感を背景に新築マンションの販売が好調だっただけでなく、オフィス市況も好転した。
不動産業界トップである三井不動産の14年3月期の営業収益(売上高に相当)は、前年同期比6%増の1兆5300億円、営業利益は同8%増の1600億円の見込みだ。利益の柱であるオフィスの賃貸収入は、日本橋アステラス三井ビルの通期稼動が寄与した。
ライバルの三菱地所の14年3月期の営業収益は同15%増の1兆700億円、営業利益は同35%増の1600億円を予想しており、こちらも好調だ。営業利益では三井不動産と並ぶ見込みだ。両社はビル事業や都市開発事業、海外事業でオフィスビルなどの物件を売却したこともあり、増収・増益を確保した。
不動産会社の重要な経営指標に、保有不動産の含み益がある。有価証券報告書には「賃貸等不動産の時価」が開示されている。13年3月期の三井不動産の時価は3兆1680億円、三菱地所のそれは4兆9207億円。この時価と決算書に計上している簿価の差額が含み益だ。三井不動産は9204億円、三菱地所は1兆9553億円。売り上げは三井不動産のほうが大きいが、含み益は東京・丸の内に多数のビルを保有し「丸の内の大家さん」と呼ばれる三菱地所に軍配が上がる。
●丸の内=三菱村
丸の内は三菱グループの本社が数多く集まっていることから、「三菱村」とも呼ばれている。江戸時代に丸の内にあった大名屋敷は明治維新後、宮城警護のための兵営となる。陸軍師団が、より大きな敷地がある赤坂や麻布に移転。そこで跡地を売却することになったが、丸の内は皇居の前なので雑然とした町になっては困るため、きちんとした地域開発ができる企業に一括売却することになった。そこで1890年、三菱2代目総帥、岩崎彌之助が政府から丸の内の兵営跡と練兵場の10万坪を購入し、「ロンドンのようなオフィス街」の建設を進めた。丸の内はかくして近代日本を象徴するビシネス街に生まれ変わったわけである。
1990年代に入り、新宿や六本木、渋谷といったオフィス街が脚光を浴び、丸の内は「黄昏の街」と揶揄されるようになる。そこで三菱地所が中心になり、人を呼び込める街に再生する一大プロジェクトが発足。1998年から丸ビルをはじめとし東京ビルディングなど次々に建て替えた。
丸の内の北側、大手町は現在再開発の真っただ中だ。大手町の再開発は「連鎖型再開発」という手法で行われている。老朽化したビル群を“玉突き”式に時間を置いて高層ビルに建て替えるプロジェクトだ。三菱地所は、これまで大手町エリアになかった高級旅館を建設中であり、全室和室の高級旅館は東京初進出の星野リゾートが運営する。三菱地所は、大手町を国際水準のビジネス街に変貌させることを目指している。