牛尾氏は細谷氏をサポートするため、りそなに同友会人脈の人材を送り込んだ。りそながほかの銀行と違うのは、社外取締役が経営に大きな発言力をもつ点だ。社外取締役の筆頭格は、元花王副社長で元同友会専務理事の渡辺正太郎氏だった。「渡辺さんも賛成している」。細谷会長は自分の提案にいい顔を見せない幹部たちを、何度となく、こう言って説得した。細谷りそなは、経済同友会人脈が支えたといっても過言ではない。
公的資金の注入額が一時、3兆円を超えたりそなの再建を進め、公的資金の残高は8700億円にまで減少した。その経営手腕は高く評価されている。
「銀行の常識は社会の非常識」と常々話し、新しい銀行のモデルをつくりあげた。大企業との株式持ち合いの解消を進めたのだ。行内の強い反発を受けたが、これを断行した。
09年3月期の連結最終利益が1239億円となり、初めて利益で首位に立った。3メガバンクが数千億円単位の保有株式の減損処理で、軒並み大幅赤字に転落するなか、りそなの保有株式の減損額は200億円にとどまったためだ。
一方で、株式の持ち合い解消の副作用は大きかった。旧大和銀行や旧埼玉銀行時代から、大企業との関係を築いてきた証が株式の持ち合いだった。それを解消することは大企業との取引から決別することを意味した。
薄型テレビ事業の不振で経営危機に陥ったシャープのメインバンクだったのは、同じ関西が地盤の旧大和銀行だった。だが、シャープに対する、りそなの存在感は限りなくゼロに近い。シャープの現経営陣は「りそなにはまったく期待していない」と言い切る。
りそなが準メインだった三洋電機の経営が大きく傾いた時にも、遠くから眺めているだけだった。融資を受ける企業が準メインに期待するのは、メイン行の横暴を牽制する機能だが、りそなはまったくそれを果さなかった。果たせなかったといっていい。そのため「(りそなは)三洋やシャープを見殺しにした」と強く批難されている。
これは細谷会長の経営方針の当然の帰結でもあった。中小企業のリテールバンクとしての地位を確立するためには、窮地に立たされている大企業を見捨てるしかないのである。大企業の、りそな離れは、これから一段と強まるだろう。
細谷氏の死去により、りそなは、名実ともに集団経営体制に移行する。りそなは01年に旧大和銀行を主体に近畿大阪銀行、奈良銀行を統合して発足した。金融庁の後押しで、あさひ銀行も経営統合した。あさひ銀行は、旧埼玉銀行と旧協和銀行が91年に合併してできた銀行だ。いまだに寄り合い所帯の行内には大和銀派、あさひ銀派が混在する。細谷氏という鎹(かすがい)を失った今、りそなHDはどこへ行くのか? 現状では、旧あさひ銀派が優遇され、旧大和銀派の不満が行内に渦巻いている。
りそなの行名は、ラテン語の「Resona=響き渡れ」に由来する。金融界で、再度、響き渡るのは、金融再編の総仕上げの時だろう。