夏に飲む冷えたビールを愛する人もいれば、冬に焼酎のお湯割りで体を温める人もいる。飲むタイミングや種類、こだわりなど、お酒との付き合い方はまさに十人十色だ。
昨年発売された新書『お酒の経済学』(中央公論新社)は、お酒と人の関係を“経済”の視点から紐解き、話題を呼んでいる。そこで今回は、著者で一橋大学名誉教授の都留康氏に、日本経済とお酒の関係や日本の酒類業界が抱えている課題について聞いた。
ビールの出荷量を超えた?人気の「RTD」とは
「酒のブームと経済のサイクルは非常に密接に関わっています。国税庁課税部酒税課の『酒のしおり』と『国税庁統計年報』で1965年度から2018年度までの課税移出数量(以下、出荷量)を調べたところ、時代ごとに“主役”が代わっていることが判明したんです」(都留氏)
高度成長期真っ只中の1965年度の酒販業界の主役は清酒、いわゆる日本酒だった。当時はビールよりも日本酒のほうがリーズナブルな価格だったこともあり、多くの人に親しまれたという。日本酒の出荷量は1973年度にピークに達し、その後は下降線をたどる。
「代わりに躍り出てきたのが、冷蔵庫の普及とともに浸透したビールです。1980~90年代にはビールが圧倒的人気を誇り、2000年代に入ると消費量が減少していきます。その間、1983年度をピークにウイスキーが人気を博し、2000年代には焼酎の消費が拡大します。ウイスキーや焼酎の台頭によって消費者の好みが多様化したため、ビールの消費量が減少したようです」(同)
そして近年、急激に伸びているのが「RTD」という酒類。これは「レディ・トゥ・ドリンク」の略で、直訳すると“フタを開けてそのまま飲める”という意味だが、酒販業界では缶や瓶入りのチューハイやサワー類、ハイボールなどの低アルコールの飲料のことを指す。
「現状の酒税法にはRTDの定義がありません。国の統計ではリキュール・スピリッツ類に分類されているようですが、2019年度時点の出荷量はビールを抜いた模様です。日本酒→ビール→ウイスキー→焼酎の順に消費の拡大と縮小のサイクルが訪れ、今はRTDが5つ目の拡大サイクルに加わったという状況です」(同)
所得による“酒格差”と日本人の酒離れの実態
このように次々と主役が交代する酒類市場は「日本経済の写し鏡になっている」と、都留氏は指摘する。
「総務省が行っている『全国消費実態調査』の1974年と2014年の結果を比べると、年々日本が貧しくなっていることがわかります。特に顕著なのが、所得の低下と格差の拡大です。この調査では各世帯の収入と消費している製品を調べるのですが、1974年には所得が低い層が『焼酎』を多く消費し、所得が高い層は『ワイン』を多く飲んでいるという結果が出ています」(同)
しかし、40年後の2014年のデータでは、所得が低い層はお酒の消費量そのものが減っているという。“低所得層はお酒を飲んでいない”ということだろうか。
「この層にフィットしていると考えられるのが、前述の『RTD』です。2014年の時点ではサワーやチューハイが調査項目に加わっていないので反映されていませんが、RTDの市場が伸びているのは明らか。焼酎よりも安価なRTDは、収入が低くても手に取りやすいのです。一方で高所得層は2014年のデータでも同じようにワインを好み、そのほかのさまざまなお酒も楽しんでいる。収入が低いほど、酒類の選択肢が狭まっている可能性が高いのです」(同)
「収入格差は“酒格差”を生んでいる」と都留氏。また、近年叫ばれている“日本人の酒離れ”と所得の関係についても、こう考察する。
「酒販業界にとって酒離れは大きな課題です。一方でアルコール飲料には中毒性がある嗜好品という側面があるので、社会的にはプラスの事象かもしれません。ただ、これがお酒を『飲まない』という個人の選択の結果なら歓迎できますが、所得が少なくてお酒が『飲めない』人が増えているのなら、経済問題として捉える必要があります」(同)
嗜好品でありながら人々の生活に溶け込んでいるお酒だが、家計が苦しくなれば真っ先に削られてしまう存在なのかもしれない。
何もしなければ10年後には日本酒は絶滅危惧種になる
都留氏は「業界の課題は酒離れだけではない」と話す。中でも、日本酒業界の新規製造免許の規制は日本酒の存亡にも関わる問題だという。
「酒類の製造免許は、製造所の所在地にある所轄税務署長の許可を得て取得します。その際、日本酒60キロリットル、ウイスキー6キロリットルなど、酒類ごとに設定された年間最低製造数量基準を満たす必要があります。しかし、日本酒は基準をクリアしても、新規の免許取得は事実上不可能です。日本酒には『需給調整要件』という制度があり、既存の業者を保護するために新たに製造免許を出さないことが国から認められていて、新規参入を拒んでいるのです」(同)
日本酒業界と関わりがない人が「日本酒をつくりたい」と思っても、新たに製造免許を取得することができない。そのため、現状では廃業予定の蔵元を買収するか、既存の蔵元に製造を委託する以外に新規参入する方法はないという。
「国や日本酒業界の主張は『需要が減っている日本酒市場に新規参入を認めると、既存の蔵元と共倒れになる』というもの。しかし、日本酒と同じく需要が下がっているビールは免許の規制を緩和した結果、若者が経営するクラフトビール醸造所が増えて活況を迎えています。そもそも需要と供給の調整はマーケットが行うものなので、国が介入するのはおかしな話なんですよ」(同)
2020年には“輸出用”にのみ新規の日本酒製造免許取得が解禁されたが、あくまで輸出用のため日本国内では飲めないという、中途半端な緩和に留まっているという。都留氏は「このまま何も変えなければ、日本酒は衰退の一途をたどるのみ」と警鐘を鳴らす。
「今、日本酒を多く飲んでいる層は団塊の世代と呼ばれる60代前後の人々です。でも、その世代はあと10年もすればお酒を多く飲めなくなります。今のうちにつくり手と消費者の若返りを図らないと、日本酒を飲む人も業者もいなくなってしまう。蔵元の中にはチャレンジをしている業者もありますが、自由な発想を持つ若手を受け入れなければ業界の変化は見込めません」(同)
経済の研究対象になかった「お酒」という観点
閉鎖的な日本酒業界に異を唱える都留氏だが、厳しい意見は業界の発展を願う“お酒愛”によるものでもある。若い頃から日本各地の蔵元やビール工場を巡るのが好きだった都留氏にとって、お酒に関する本を出すことは「長年の夢」だったという。
「私の専門は人事と組織の経済学なので、まずは専門分野で業績を上げるのが本務でした。還暦を迎え、その責任が果たせたと感じて“お酒の本”の執筆に着手したんです。しかし、お酒はこれまで経済の研究対象に取り上げられず、先行研究がほとんどありませんでした。初めの頃は情報を集めて一つひとつ開拓する作業に追われていたので、夢が叶った半面、執筆中はかなり苦労しましたね」(同)
産みの苦しみを味わいながら書かれた『お酒の経済学』は、SNSやメディアで大きな反響を呼んだ。現在は2冊目の執筆に取りかかっているという。
「第1弾の『お酒の経済学』では、さまざまなお酒の製法と歴史、課題とイノベーションを1冊にまとめました。日本酒やビール、ウイスキーなど、酒類で項目を分けているので、好きなお酒の現在地を知る手がかりにしてもらえるとうれしいですね。2冊目では、読者からも要望があった『ワイン』と、居酒屋などの飲食空間を取り上げる予定です」(同)
グラスを片手に同書を手に取れば、より深くお酒を味わうことができるかもしれない。
●都留康(つる・つよし)
1954年、福岡県生まれ。82年、一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、同年一橋大学経済研究所講師。95年、同教授。現在は同客員教授、一橋大学名誉教授、新潟大学日本酒学センター非常勤講師を勤める。著書に『労使関係のノンユニオン化―ミクロ的・制度的分析』(東洋経済新報社)『製品アーキテクチャと人材マネジメント―中国・韓国との比較からみた日本』(岩波書店)など。
『お酒の経済学』 日本のお酒をめぐる環境が激変している。日本酒からビール、焼酎と主役が交代しつつ消費は伸びてきたが、1990年代半ばにピークを迎えた。その後はデフレ下で「第3のビール」やサワーが躍進する一方、クラフトビールや純米大吟醸酒も人気を集める。さらに、日本酒やウイスキーは海外から高く評価され、輸出が急増している。日本のお酒が抱える課題と可能性とは。経済学と経営学の最新の研究成果から解き明かす。