たとえば、愛する人を亡くすという大きな喪失体験に直面し、打ちのめされているにもかかわらず、通夜や葬式の場で「大丈夫、大丈夫」と妙に元気にふるまい、活発に動き回る人がいる。精神医学では「葬式躁病」と呼ばれており、こういう人はその後ドーンと落ち込むことが多い。
あるいは、多額の借金を抱えてにっちもさっちもいかなくなっているにもかかわらず、借金を減らすための現実的な対処はせず、「金くらい何とかなる」と豪語し、毎晩飲み歩いてカードで支払う人も、マニック・ディフェンスに陥っていると考えられる。
もっとも、マニック・ディフェンスは、必ずしも病的とはいいきれない。というのも、これは誰でも多かれ少なかれ用いる防衛手段だからだ。大切な対象を失う喪失体験に直面すると、とりあえず目の前の現実から目をそむけながら、自分が受けたダメージをできるだけ和らげようとするのが人間であり、われわれは知らず知らずのうちにこの防衛手段に頼りながら身過ぎ世過ぎをしている。
高揚感と勝利宣言の裏に潜むマニック・ディフェンス
会見の際、高揚した調子で「勝ち取った」「夢がかなった」などと自らの勝利を強調した松居さんに対して、会見場内にいた記者から「痛いなー」という失笑が漏れたらしい。これは、高揚感と勝利宣言の裏にマニック・ディフェンスが透けて見えたからではないか。
先ほど述べたように、マニック・ディフェンスは必ずしも病的というわけではなく、喪失体験の直後の一時的な防衛手段としてなら、それほど問題はない。ただ、ずっと続けるとさまざまな弊害が伴う。その最たるものが、後でツケが回ってきてドーンと落ち込むことである。
皮肉なことに、落ち込むのが嫌だからこそマニック・ディフェンスに頼ったのに、その後もっと深刻な気分の落ち込みに見舞われる。そうならないためには、まず自分がマニック・ディフェンスによって喪失体験を乗り越えようとしていることに気づく必要がある。そのうえで、「大切な対象を失った後に気分が落ち込むのは誰にでもあることだから、無理して明るく元気にふるまうのはやめよう」と自分に言い聞かせるべきだ。そして、自分が失ったものと向き合い、つらくても喪失の痛みに耐えることもある程度は必要で、そのうち「日にち薬」という言葉もあるように次第に立ち直っていく。