明石家さんま、“真面目な実務家”は、なぜトップに君臨し続けられる?語録から読み解く
さまざまなテレビ番組や雑誌などでもお馴染みの購買/調達コンサルタント・坂口孝則。いま、大手中小問わず企業から引く手あまたのコスト削減のプロが、アイドル、牛丼から最新の企業動向まで、硬軟問わずあの「儲けのカラクリ」を暴露! そこにはある共通点が見えてくる!?
1955年7月生まれの59歳。十代でデビューしテレビの最前線でトップの座に君臨し続け、そのパワーは衰えを知らないどころか増し続けている。数多くの芸能人が、他の領域へ活動の軸足を移していくにもかかわらず、ずっとお笑いの現場にいる稀有な人。それが明石家さんまさんだ。
さんまさんについては、ゴシップ記事や芸人仲間による裏話などがあふれている。例えば、ナインティナインの岡村隆史さんは、さんまさんの番組に出てコメントをトチった時、「なんやそれ? 俺の番組、潰す気か?」と言われた経験を回願している。ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんらも同様の思い出を披露しているが、それは恐らく番組司会者としてお笑いへの責任の表れだったに違いない。
個人的な経験でいうと、筆者はさんまさんが司会を務める『ホンマでっか!? TV』(フジテレビ系)に2回ほど出演したことがあり、さんまさんの妙技に驚愕した。ほとんどぶっつけ本番で颯爽とスタジオ入りして、すぐさま雰囲気をつくり、観客や出演者とスタッフを魅了するすごさ。自らが話しながら、0.1秒単位でのアイコンタクトを送り、とっさの判断で誰に振るべきかを決める運動神経。専門家に話させるところは話をさせる一方で笑いを取るところは外さず、スタジオ中を歩きまわっては、その一つひとつのリアクションが洗練され、それでいて意外性のあるコメントを乱射し、予定調和的ではない爆笑が生まれる。
フロアディレクターの「いただきました」との声で、颯爽とスタジオをあとにするさんまさん。その後、なぜかさんまさんの空気が、その場を支配するのだ。きわめて特別な、そして不思議な感覚だった。
あまり語ってこなかった自己像
筆者は、さんまさんが自身やお笑いについて語った記事を収集している。しかし、さんまさんの性格によるものか、あるいは事務所の方針かはわからないものの、インタビューや自著はきわめて少ない。毎日のようにテレビでさんまさんを見て、そして小学生のころファミリーコンピュータで『さんまの名探偵』にふけっていた私からすると、全メディアの中で活字メディアへの露出のみが少ないのは意外な気がした。活字メディアでは、プロインタビュアー・吉田豪さんが「本人」(vol.11/太田出版)でロングインタビューを試みている以外は、断片的なものしかないし、自著も絶版になっている『ビッグな気分』(集英社)や『こんな男でよかったら』(ニッポン放送出版)があるくらいだ。
プロレスラーのペドロ・モラレスに憧れた小学生時代、顔を殴られるからと格闘家をやめたあとに杉本高文青年が目指したのは芸人だった。テレビに出てきた演芸人に勝てると思ったのがきっかけだったという。悪いことをしても新聞に載りたいとすら思っていた高校3年生の2学期、落語家・笑福亭松之助師匠の門をたたく。その理由を訊かれると「そら師匠、センスありますねん」と答えたという(『ビッグな気分』より)。
そしてデビュー後、すぐさま人気が出たさんまさんは、二十代前半で週刊誌に「日本一忙しい男」と書かれるに至り、さらにテレビ番組『MBSヤングタウン』(毎日放送)において、桂三枝(現桂文枝)さんがメイン司会を担当する土曜日に起用され、さらに快進撃が始まるのが1979年のことだ。その名前は全国区にとどろき始め、81年放送開始の『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が決定打となる。それ以降は説明の必要もないくらいテレビを代表する芸能人、いや、お笑い芸人となった。
お笑いだけ」に懸ける気概
今回、少ないとはいえ、あらためて活字メディアでさんまさんの発言を読み返してみると、さんまさんのお笑い「だけ」に懸ける気概に私は圧倒されてしまった。
「苦労話とか愚痴ってキライです。だから、演歌歌手のコンサートなんて大キライ」
「東京の芸人はうけへんかったら逃げるけど、わしらは何をしても笑わしますから」
(共に「EX大衆」<2013年11月号/双葉社>より)
ここにはお笑いだけに特化したある種の清々しさがあるし、同種の内容をさんまさんは繰り返している。よくいえば、「理想なき実務家」というのだろうか。ノンポリとは、かつて侮蔑の意味で使われていた。しかし、いまでは不必要な政治思想を持つよりも、どんな手段であっても現実の問題を解決するリアルな行動力が求められる。さんまさんは笑いを生むことだけを目的とするリアリストな側面があったように思う。
筆者が感動するのは、さんまさんが一貫して高尚なるお笑い論を語らないことだ。これだけのベテランになれば、高説を述べてもよさそうなところを、である。
「よく、どんな笑いを目指しますかと聞かれますが、“笑いを目指す”という答えだけのものですから、“どんな”というのはないです。ピッチャーに例えたら、いろんな球種を使って打ち取りたい。シンカーばっかり投げたらヒジ痛めますからね。そういうところはTV的に、茶の間をターゲットに、こっちはこう言うたほうが個人的には好きだけれども、TV的にはこう言う…というのは常にありますし」(「レプリーク」<00年9月号/阪急コミュニケーションズ>より)
さんまさんは、伝統芸能ではなくテレビやラジオといった比較的新しいメディアを好んだ。そこにもさんまさんの戦略があった。
「うちの師匠(笑福亭松之助)が『さんま、雑談を芸に出来たらすごいぞ』と口癖のようにおっしゃってて、オレはいつかそれをやってやろうと思い続けてたんですね」
「やっぱり公開だとどうしても目の前のお客さんの笑いを取る方に行ってしまいますよね。オレはそれよりはラジオの向こうにいるお客さんの笑いを取りたかった」
(共に「クイック・ジャパン」<05年12月号/太田出版>)
このお笑いに懸ける純粋さは、徹底していた。例えば、お笑いもやりつつ、シリアスな映画に挑戦することも考えられるだろうし、感動的な番組に携わることも考えられるだろう。しかし、映画の監督業については明確に断り「テレビで生きていこうと思っている」と答え、かつ、芸人がお涙ちょうだい番組で注目を集める手法からは距離を置いていた。
「僕は泣かないって決めてますから。(中略)僕の好きだった女性のお母さんが昔、『さんまさんはテレビで泣かないから信用できる』って言ってくれたんです。その時に『ああ、こんな人がいるんなら俺は一生テレビで泣かない』って思ったんです」
(前出「本人」より)
なんとストイックな態度だろうか。お笑いモンスターたるゆえんは、この自己流を貫徹する態度が、さんまさんをその立場に押し上げているように思う。芸人はラジオ番組を持ち、トークの訓練をしろと持論を展開し、お笑い好きならばラジオのリスナーになれとも勧める。それぞれの場所で、それぞれの約束事を守り、お笑いを生み続ける――しかも、40年も。これはやはりただならぬことだと思う。
リングに立ち続ける
ところで、『ビッグな気分』に極めて印象的かつ感動的な箇所がある。さんまさんがまわりからの批判に応じている箇所だ。
「いまを生きてるから、『しかし、人気が落ちたあとの将来を考えといたほうがいい』なんていわれると、心の中で(そんな心配せんでもええよ。安心しててください)と思ってしまう。(中略)どんなもんでもいま燃えつきたいと思っている。やらんことにゃ、しゃあない。(中略)それは、いわば“戦い”や。ぼく自身の体力と能力との戦いや。(中略)戦っている以上は、絶対に勝たにゃいかん。(中略)好きなボクシングでいえば、1ラウンドごとに命をかけて戦うんや。リングに上がったんは、誰でもない、ぼく自身やから」
ここを最後に紹介し、これまでと違った「さんまさん像」を紹介できていれば幸いだ。お笑い以外の真面目な姿を紹介されること――。それは、もちろん、さんまさんが最も厭悪することではあろうけれど――。
(文=坂口孝則/購買・調達コンサルタント、未来調達研究所株式会社取締役)