ちょっとしたことで「心が折れた」と落ち込み、なかなか立ち直れない子どもや若者が増えている。そのため学校の先生たちは、子どもが悪いことをしても、義務を果たさなくても、厳しく叱ることができない。職場の上司や先輩も、若手が傷ついて落ち込まないように、非常に気をつかっている。
だが、ちょっとしたことですぐに傷つき心が折れる自分に生きづらさを感じ、一番苦しんでいるのは、まさしく本人自身である。そんな子にしないために、親としてできることは何だろうか。
心が折れやすい若者たち
「心が折れた」というセリフをよく耳にするようになったが、それは立ち直れないほどに落ち込みやすい心が増えている証拠とも言える。
大学生数百人に私が実施した意識調査でも、「心が折れたことがある」という者は60.2%と3分の2近くに達し、「ない」という者は25.4%しかいなかった。「心が折れそうになったことがある」という者は84.4%、「ない」という者はわずか7.2%であった。このように若者の8割以上が心が折れそうになったことがあり、6割が実際に心が折れたことがあるという。
さらに、「ちょっとしたことで心が折れたと言う人が多いと感じる」という者は59.1%、「感じない」という者は15.3%であり、大半の若者がちょっとしたことで心が折れたと言う人が多いと感じている。
「キレる」というのも、「心が折れる」と同様、思い通りにならない厳しい状況を持ち堪える力の低さのあらわれと解釈できる。これに関しても、「ちょっとしたことでキレる人が多いと感じる」という者は59.5%、「感じない」という者は18.1%であった。ここでも、厳しい状況を持ち堪える力の乏しさを感じる者が6割に達していた。
こうしてみると、ちょっとしたことで心のバランスを崩す者、厳しい状況に耐えられない者が、今の若者には非常に多いと言わざるを得ない。
では、なぜそのように心が折れやすい若者が増えてしまったのか。そこには、幼時以来の子育てが深く関与している。
傷つかないように気をつかう子育て
今はやりの「ほめて育てる」「叱らない子育て」が重視するのは、子どもの気持ちを傷つけないようにすることである。そのために、いかに子どもの気持ちをポジティブな状態に保つかに腐心する。
塾や学校の先生たちがやたらほめるのも、子どもたちをポジティブな気分にさせてあげるためと言える。だが、それが売り物になるのも、子どもたちを傷つけてはいけない、子どもたちを常にポジティブな気分にさせてあげることが大切だ、といった価値観が世の中に広まっているからにほかならない。
学校の先生たちと話すと、ほとんどの先生は、ほめるばかりでは子どもたちをきちんと教育することはできないと感じている。でも、そうしないと保護者からクレームがくるから、ほめ育てをしなければならないのだと、苦しい胸の内を語る。
そんな時代の親たちは、子どもが傷つかないようにということばかり気にかけている。コーチングの手法を利用した、子どもの心を傷つけないものの言い方などをマニュアル化して示す本や研修がはやるのも、そういうテクニックを求める親たちが非常に多いからと言える。
わが子の気持ちを傷つけないように言葉づかいに気をつけたり、ひたすらほめて我が子をポジティブな気分にさせるように気をつかう親が増えてきてから、子どもや若者の心はたくましくなっただろうか。嫌なことがあっても、思い通りにならないことがあっても、傷ついたり落ち込んだりせずに、前向きにがんばり続けられるようになっただろうか。むしろ逆に、心が折れやすい子どもや若者が増えたのではないか。
結局、子どもを絶えずほめて、ポジティブな気分にさせておくために、ネガティブな状況を持ち堪える力が身に付かなくなってしまったのである。そのため、ちょっとした挫折にも心が折れてしまい、苦しむことになる。
否定的なことを言わない親がいいのか?
小さい頃から自分の欲求が満たされ、常にポジティブな気分にさせられていると、ネガティブな気分に弱くなる。小さい頃から思い通りにならず我慢しなければならないことがいろいろあれば、ネガティブな気分に強くなる。それは当然のことだ。
だが、なぜかそこが見逃されている。そのため、心が折れやすい子どもや若者が大量に生み出されている。
子どもを傷つけない手法を本やセミナーといった商品として売り込む際に、しばしば用いられるキャッチフレーズが、「うっかり子どもを傷つけるとトラウマになり、自信のない子になってしまいます」といったものだ。トラウマというのは、心的外傷のことで、わかりやすく言えば、その後の人生に暗い影を落とす深刻な心の傷のことである。
だが、そのようなトラウマになるのは、虐待のような極端な場合であって、欲しいものを我慢させるとか、わがままを許さないというような意味での欲求不満にさせることがトラウマになるようなことはない。これは明らかに商売のための脅し文句にすぎない。
コーチング手法を用いて、子どもの言うことに共感的に耳を傾け、否定的なことは言わず、親の思いや考えを押しつけるようなことはしないように心がけ、子どもを傷つけないような子育てが推奨されたりしている。
だが、そうした子どもを傷つけない子育てが広まってから、傷つきやすく、心が折れやすい子どもや若者が増えているのではないのか。
それはそうだろう。親がコーチングの手法を用いて、子どもを傷つけないようなもの言いばかりしていたら、どんな子になっていくだろうか。
友だちとうまく遊べない子にならないだろうか。子どもというのは、けっこうきついことも平気で言う。わがままな子もいる。親からいつも傷つかないような対応をされていたりしたら、友だちの言葉がグサグサ刺さり、幼稚園生活や学校生活にうまく適応しにくくなるはずだ。
実際、学生のカウンセリングのなかで、友だちの言葉がきつくて小学生の頃から学校の人間関係に馴染めなかったという学生が相談に来ることもあった。大学生になっても、なかなか友だちづきあいに馴染めず、悩んでいるわけだ。
ましてや社会に出たらいろんな人たちと関わっていかなければならない。強引な人や自分勝手な人もいる。理不尽なことを言う人もいる。口のきき方が乱暴な人もいる。そんな人たちともうまく関わっていかねばならない。ずっと温室で過ごすわけにはいかないのだ。
「傷つけない子育て」よりも「傷つきにくくする子育て」
そうしてみると、親としては、ときにきついことを言ったり、子どものわがままを許さず否定的なことを言ったり、感情的になって怒ることがあっても問題ないだろう。むしろ、そうした人間味のある親のほうが、子どもの心を鍛えることができるのではないか。子どもの思い通りにさせない壁となって立ちはだかる親の存在も、子どもの心を鍛えるには有効なはずだ。もちろん、そうした厳しさがうまく機能するには、日頃からじゃれあうなど、温かい心の交流があることが前提となるのは言うまでもない。
トラウマになるから子どもに厳しいことを言ってはいけないなどと言うのは、いきなり30キロのバーベルを持ち上げさせられて筋肉を痛めた人がいるからといって、筋力を鍛えるのは危険だからやってはいけないと言うようなものだ。そんなことを言っていたら、いつまでもひ弱なままだ。適度に負荷をかけることで筋力が増していく。徐々に負荷を高めていくことで、そのうち30キロのバーベルも筋肉を痛めずに持ち上げられるようになる。
心の強さも同じだ。小さな負荷を繰り返し経験することで、心の抵抗力が高まり、ちょっとやそっとのことでは傷つきにくい強い心の持ち主になっていく。
子どもが傷つかないようにする子育ては、かえって子どもをひ弱にさせてしまう。折れやすい心にしてしまう。それでは、なかなか思うようにならない厳しい現実を前向きに生きていくのは難しい。
そこで大切なのは、ちょっとやそっとのことでは心が折れないように心を鍛えてあげること、「傷つけない子育て」よりも「傷つきにくくする子育て」をすることである。ダメなことはきっぱりダメと言い、わがままや規則違反は許されないこと、義務を果たさないことは許されないことを毅然として示す厳しさのなかで、子どもの心は鍛えられていく。親としては、子どもにとっての壁として立ちはだかる覚悟も必要なのではないか。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)