小学校の卒業アルバムに「(将来は)猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と宣言を綴った少年は、1985年に芸人を目指して片岡鶴太郎氏に押しかけの弟子入りをした。
本名・春花直樹では「字数が悪い」といわれ、「一番の芸人を目指せ!」「春一番のような強い風を吹かせろ!」と、師匠命名の「春一番」という芸名を名乗った。お笑い系の同期には、爆笑問題、松村邦洋、今田耕司らがいる。
1988年に放送されたテレビドラマ『翼をください』(NHK)で俳優デビューし、その後「猪木モノマネの第一人者」となるきっかけは、テレビ東京『宴会芸大賞』で披露して以降だ。
しかし、念願の芸能界入りが成就するも、過度の酒好きが災いして素行不良が問題視され、太田プロを解雇されてしまう。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)への出演を機に、春一番に目をかけた巨匠・ビートたけしも、酒癖の監視を関係者に指示しただけでなく、本人にも「おまえが酒をやめたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いて聞かせるほどだった。
バーボンのロックを連日1ℓも
では、春一番の酒好きは、いったいどの程度だったのか。
のちに浅草キッドがネタにしたひとつの逸話がある。「相変わらず酒浸りの日々で、やせ細っている」との近況報告を受けたたけしが心配し、「しっかり食えよ」と炊飯器を春一番さんに贈った。しかし、春一番は、その炊飯器を熱燗やホットウイスキーづくりに使い、さらに酒量を増やしたというから、確かに「過度」である。
出逢いから22年、マネージャー歴20年、結婚して18年、「いつも春さんと一緒にいました」と語る夫人の春花綾さんは、夫の死後、故人の『春一番闘魂伝笑ブログ』上で最期の様子を詳細に綴っている。そのブログの中で、飲酒事情について次のように記述している。
「昔はバーボンを一日1ℓ(ロックで氷が溶けて薄くなったら新しく作る)呑んでましたが、2005年に大病を患ってからは禁酒、節酒をしてました」
「自分で酒スケ(飲酒スケジュール)を組んで、今週は呑みませんとか明日は呑むよ…なんて言ってました」
腎不全で医師も見放す状態から、アントニオ猪木氏の闘魂注入で奇跡の生還
2005年の8月から12月にかけて、春一番は「化膿性肺炎」、いわゆる「腎不全」で入院を余儀なくされ、大手術を受けた。
その時点で肝臓、腎臓、膵臓といった内臓はことごとくやられており、体重が激減していた。腎不全から肺膿瘍、加えて肺気胸まで併発して、三度にわたる手術を経ても容体が復調せず、医師陣も半ば見放さざるを得ない状態だったという。
しかし、彼の人生でもっとも憧れる人物が見舞いに訪れ、ICU(集中治療室)で励ましの言葉をかけた。それ以降、奇跡的な回復ぶりを見せ、芸人・春一番は生還した。見舞いに訪れたアントニオ猪木氏は、こう言ったという。
「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」
猪木氏の代名詞である、例のハンパないビンタ付きの“アントニオ式激励法”が、奇跡の生還につながったという都市伝説は、猪木ファンの間ではいまだ根強い。
γ-GTP値が正常値の30倍に
そもそも春一番は、入院騒動の3年以上前の2002年5月に、バラエティ番組『内村プロデュース』(テレビ朝日系)の健康診断企画で「不健康芸人のサンプル」とも呼ばれていた。
事実、その出演時のγ-GTP値は1500と異常な数値だった。成人男性の正常値が10~50なので、実に30倍だ。500でも「超高度」の判定なので、その場で医師陣から入院を言明されたのは言うまでもない。しかし、その後の3年間を春一番がどう過ごしたかは、上記の入院結果が物語っている。
猪木氏のビンタ効果で(?)退院できた春一番は、およそ1年後にはテレビ番組で復帰。その後も営業や単発のテレビ出演で猪木モノマネ一筋の日々を送っていた。
そんななか、2014年7月3日午前7時前、隣で目ざめた綾夫人が異変に気付いて119番し、緊急搬送された。故人に代わって最後のブログ更新を綴った綾夫人が、その朝の様子を書いている。
「目覚めて隣の春さんを見ると春さんの顔が真っ白に見えました。/これはいけない!低血糖だ!と思い春さんの頬を触りました。頬、おでこ、と触って冷たいので、布団を剥ぎ胸を触りました。/胸も冷たいのですぐに119番に『主人が冷たい!顔が白い!糖尿なんです』と電話をしました」
駆けつけた救急隊員によるAEDや心臓マッサージ、搬送先の医師らの蘇生努力も虚しく、同日午前8時1分、春花直樹さんの臨終が確認された。死因は「肝硬変」、享年47だった。
肝硬変とはどんな病か?
ウイルス性やアルコール性の肝炎が主因の「肝硬変」――。
肝細胞が壊れる(死滅や減衰)に伴い、その部分に繊維が置換され、読んで字のごとく「肝臓が硬く」なる。見た目もこぶ状のゴツゴツ臓器となるが、諸々の要因から生じた慢性肝炎が治癒せず、それなりの期間を経た「終末像」である肝硬変は、独立した疾患とも言い難い。
余剰能力に富んで組織再生能力にも長ける肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれ、肝硬変初期(代償期段階)は無症状である場合が多い。しかし、肝機能が損なわれ、繊維化が高度に進行すれば非代償性肝硬変となり、吐血や黄疸の症状、肝性昏睡などの合併症が現れる。
現状、肝硬変は「完治できる病」ではなく、治療も「残された肝臓機能を維持する」のが基本だ。進行すれば最終的に「肺不全」「消化菅出血」「肝がん」の3つが主な死因となる。
過度の酒好きを御亭主を持ち、さぞや御苦労が多いのではないか……綾夫人はよく、周囲からそう心配されたそうだが、春一番の人柄と酒の関係についてはこう綴っている。
「普段の春さんは穏やかでお酒を呑んでも変わらず穏やかで、甘えん坊で、淋しがりやで、陽気で、人なつこくて可愛い人です」
「葬儀・告別式では出棺前にもう我慢しなくていいよ…と、春さんにワイルドターキーを呑ませてあげました。2005年大病から復活して禁バーボンをしていたので思う存分呑ませました」
水道橋博士によれば、猪木モノマネのみを貫いた春一番の芸風は「『1、2、3、ダァー』の掛け声だけでギャラが取れる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業」だった。
自ら「収入の9%が猪木さんからのお小遣い」と公言していた春一番。そのモノマネを唯一、公認していたアントニオ猪木氏は彼の訃報に触れ、次のように追悼の意を示した。
「贈る言葉にふさわしくないと思いますが、敢えて『元気ですか~!』を贈ります」
出棺時も「俺が死んだら皆で『ダァー!』をやってくれ」という遺志が汲まれ、綾夫人の音頭取りで天国へ送り出された。
「元気ですかァーーッ。この調子で、2020年東京オリンピックまで生きてる予感ですな」とは、急逝直前の7月1日、春一番自身が前掲ブログに綴った投稿内容だ。残念ながら、予感は外れた。
(文=ヘルスプレス編集部)