まずAKB48の労働特性として「メンバーが物語やキャラクターを演じ」なくてはならない。それはファンとの関係から「相手(ファン)感情を読み取り、感情に働きかけるような労働が必要」となる。これを「感情労働」と呼ぶが、行き過ぎた感情労働は「精神的疲労、消費者のために満足がいく感情労働ができないことによるストレス」「消費者からの圧力」が生じていくことになる。さらに「キャラクターを演じる」AKB48は全人格が評価対象となり、過酷な長時間労働に晒されているのだ。
●過酷な労働環境
確かにAKB48の労働環境は過酷だ。しかも彼女たちのコンセプトは「会いに行けるアイドル」。よって「握手会の回数が膨大になり、人気メンバーは一回当たりの拘束時間も長時間化する」。
それを補うのが「やりがいの搾取」だという。ファンのためにとメンバーたちが自発的に労働環境の過酷さを我慢して受け入れてしまうことを指すが、そこにメンバーたちを導く装置が、AKB48の歌う歌詞に隠されているという。
秋元氏が手がける歌詞の多くは「自己啓発」的であり、労働を美化し、また自己責任を押し付けるものとしても機能する。
例えば、峯岸みなみが恋愛禁止を破り、丸刈り騒動に発展した一件について。AKB48チーム4の『清純フィロソフィー』の歌詞を引くと「恋愛は許してあげよう。その代わり、自己責任でリスクを引き受けろ」というメッセージが隠されていると筆者はいう。加えて「事実の解明やスタッフの責任ははぐらかされる」装置ともなっているのだ。
AKB48と労働問題のリンクはまだある。チームを数多く作ることでチーム間の「格差」を構築し、総選挙を通じてメンバーたちを「過剰に競争」させる。総選挙は一見「自由化」でもあるが、だからこそメンバー間では仲間意識よりもお互いの疑心暗鬼、不安が募る。自由化による過剰競争、自己責任――これはまた現代の就活の構図ともリンクする。
AKB48の総選挙も就活の面接も、その基準は曖昧だ。曖昧さは「問題を自分に求めさせる『自己分析』」となり、AKB48や学生を追いつめていく。
そして過酷な自己責任の競争原理に投げ込まれた挙げ句が「世代交代」という名の「使い捨て」「卒業」である。
こうした視点で検証すると、確かにAKB48の人気の仕組みと労働問題は絡み合うことは多い。ブラック企業の定義にもある長時間労働、格差、自由競争、雇用の流動化など、日本の雇用システムの問題点とAKB48は不思議と重なり合う。
ミリオンセラーを連発しながら「労働問題」を体現する、それがAKB48であり、現代の「女工哀史」なのかもしれない。
(文=和田実)
『AKB48とブラック企業』 本書は約50ものAKB48の楽曲を解説し、それらが日本の労働の現実に迫り、その改革を模索するワークソング(労働歌)であることを示す。AKB48を知ること、それは日本の雇用のリアルを知ることだ。