イノベーションはいくつも起きているのに、国の経済成長につながらない。なぜなのか。果たして、イノベーションは本当に機能しているのか――。「日経エレクトロニクス」編集長、東京大学大学院教授などを歴任したジャーナリストの西村吉雄氏が、このほど『イノベーションは、万能ではない』(日経BP)を出版した。
西村氏は国内の安易なイノベーション万能論に警鐘を鳴らし、「イノベーションは不可欠だが、それだけで山積する社会問題を解決できるわけではない」と説明する。
「イノベーション=技術革新」という誤解
――「イノベーション」は「技術革新」と訳されることが多いようですが、そもそもどのような意味なのでしょうか。
西村吉雄氏(以下、西村) この本を書くきっかけのひとつは「イノベーション=技術革新」という誤解が、あまりに根強く社会にはびこっていることに対する問題意識がありました。大学の講義で学生に質問しても、8割はそう思い込んでいます。「新しい科学、技術の成果」だと認識している人がほとんどで、平たく言えば、ノーベル賞につながるような科学的な成果、新発見がイノベーションだと思われています。
しかし、イノベーションの原典であるシュンペーター(オーストリアの経済学者)は『経済発展の理論』の日本語訳の序文(1937年)で「経済システムに時間的変化を与えるもの」と説明しています。そして、それは「新しい組み合わせ」、すなわち「新結合」から生まれると言います。具体的には(1)新しい製品の生産・販売(2)新製法の導入(3)新しい販路の開拓(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得(5)新しい組織の実現――としており、技術が関係あるのは(1)(2)にすぎません。しかも(2)についても、わざわざ「科学的に新しい方法に基づく必要はない」とコメントしています。
著明な経営学者のピーター・ドラッカーも、イノベーションの例として「割賦販売」(分割して後払いできるようにすること)というビジネスモデルを取り上げています。つまり、イノベーションは経済システムを変化させる力であり、経済成長の原動力という、あくまで経済学上の概念です。
――日本では、なぜ「技術革新」というイメージが定着したのでしょうか。
西村 よく引用されますが、1956年の「経済白書」で「投資活動の原動力となる技術の進歩とは平和利用とオートメーションに代表される技術革新(イノベーション)である」と紹介されました。
戦後日本では「技術によって経済復興を成し遂げる/遂げた」という自負が強くありました。実際には人口ボーナスや朝鮮戦争といった外部要因が大きかったと思いますが、それはともかく、敗戦国という劣等感を払拭するためにも、技術に期待するという思いが非常に強くあったのだと思います。
もっとも、1950~60年代では世界中で「イノベーション=技術革新」と捉えられる傾向にありました。その出発点は、1930年代のナイロンの成功にあります。世界的化学メーカーである米デュポン社は、社内の中央研究所で「ナイロン」を開発し、世界的大ヒット商品を生み出しました。「世界に通用する基礎的な科学研究を行うことで、重要な新製品を見いだすことができ、大きな利益があげられる」という考えのもと、社内で研究、開発、生産、販売を完結させるという「リニア(一直線)モデル」が、ナイロンによって完成します。
このリニア・モデルが第2次大戦後にトランジスタの成功などによって強化され、1950~60年代に全盛期を迎えます。「リニア・モデルの時代」は事実上、「イノベーション=技術革新」の時代であり、「中央研究所の時代」でもありました。
「イノベーションは、万能ではない」理由
――そのような潮流には、どこかで変化があったのでしょうか。
西村 私は1961年に東京工業大学に入学しましたが、日本企業も中央研究所をつくり始めた頃で、東工大生には企業からの誘いがたくさん来ていました。ただ、1960年代後半にはアメリカでは中央研究所が経済的成果を必ずしも出すわけではないことが段々明らかになってきて、1970年代には中央研究所の閉鎖や縮小が始まります。アメリカでは株主の影響が強く、よりビジネス的な判断が強かったことがあると思います。日本はバブル崩壊頃まで、中央研究所のような組織への投資を大事にしていましたね。
私は「日経エレクトロニクス」という技術誌の編集者になりましたが、1980年代の終わり頃にシリコンバレーのあるサンノゼに支局をつくりました。その特派員から、「ビジネスモデル」という言葉の入った原稿がたくさん出てきました。日本ではまだそれほど使われていなかった時代です。「どうやって組み合わせて儲けるか」というビジネスの仕組みについて、みんな議論しているというレポートでした。シリコンバレーでは、当時から「仕組みをつくる方が非常に大事」という意識があったようです。
政府の文章でも1990年頃から「イノベーション」はイノベーションのままで日本語訳がつくことはなくなり、技術革新より広い概念という理解も少しずつ進んできてはいるようですが、日本ではまだまだですね。
――イノベーションは科学技術に限らないということですね。では、本書のタイトルを「イノベーションは、万能ではない」とされたのは、どのような意図からでしょうか。
西村 政策やビジネスの場で、イノベーションさえ起こせば少子高齢化の克服や経済成長まで解決するかのように日本では考えられているふしがあります。「GAFA」に代表されるように、イノベーションを起こしている企業はあります。しかし、それが国単位、マクロ経済の単位での経済成長にはあまり結びついていないのです。先進国では1970年代以降、どの国であっても成長率は低下しています。
少数の会社が大儲けしているにもかかわらず、社会では格差拡大、成長率低下が進んでいます。西洋、特にヨーロッパではイノベーションと経済成長の関係に対して批判的な議論がなされており、関心も高いですが、日本ではあまりされていないのが現状です。どうすればイノベーションを起こせるのかという議論ばかりです。
「資本主義の終わり」に向かう世界
――本書ではICTと経済成長、そしてイノベーションの関係について、議論を深めていますね。
西村 昨年、シカゴ大学が出したプラットフォーム・ビジネスの問題点のレポートで、最初に取り上げられているのが「ネットワーク外部性による独占」の問題です。これはゲーム機とソフトウェアの関係がわかりやすいですが、ハードウェアが売れると人気ソフトが集まり、さらにハードウェアが売れて――というサイクルの中で特定企業の独占が進むという問題です。
まさにGAFAなどへの問題意識で、独占禁止法を厳しく適用したり、異なるプラットフォームでも動くよう義務づけたりするべきではという議論がなされていました。これまでのICTによるイノベーションは、ネットワーク外部性と直結しており、一部の企業による独占をもたらすため、これまで以上に、イノベーションを万能と安易に考えると落とし穴があります。
格差や低成長の問題とあわせて考えなければならない。インターネットの登場によって民主主義はよりよく機能するという希望がかつてはあり、私もそう期待していましたが、残念ながらそうなってはいません。
――イノベーションは経済成長に不可欠ではない、ということでしょうか。
西村 そうではなく、やはりイノベーションは経済成長の源泉にはなります。私は経済成長を考えるときには、経済学者の岩井克人氏の議論を参考にしていますが、岩井氏は「差異が利潤を生み出す」と説明しています。
遠隔地との物の値段の差、労働力の値段の差で資本主義は利潤を生み出してきましたが、それらが経済成長とともに失われてくると、最後に価値の源泉になるのが、イノベーションが生み出す時間的な差です。その点からも、イノベーションなしでは経済成長できないのは確かです。繰り返しになりますが、イノベーションだけでは解決しない問題が多くなってきているということです。
先進国はどこも低成長時代に突入しています。その先には、成長しない経済があるのかもしれません。実際、先進国では金利がゼロまたはマイナスです。そこそこの金利を維持していた米国も、新型コロナウイルスによる経済悪化の対策として、金利をゼロにしようとしています。金利ゼロというのは、ほとんど資本主義の終わりとも言えます。
とはいえ、経済成長を前提としてきた社会はどんなに長く考えてもここ400~500年で、人類史の中ではほんの一時代です。これまでは経済成長によって新たに生まれたパイを分配することで問題解決を図ってきましたが、それができなくなると、まったく別な手段が求められるようになるでしょう。