ポジティブシンキング原理主義的な自己啓発へのムズムズするような違和感の正体
『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮社/森本あんり著)
反知性主義――。近ごろ、わりと見聞きするキーワードのひとつです。
僕の管見で説明してしまいますと、要は知識人に対するアンチの精神や、知識・知性を軽視する姿勢が“反知性”ということ。ごく普通の市井の人々だって道徳的、良識的な能力を持っている。だから、特別な教育を受けていなくても、誰だって道徳的感覚を発揮して生きていけるのである……みたいな、ある種の平等思想を指します。
仮にこれが国家の政策として巧みに組み込まれた場合、悪政を正当化するための詭弁として為政者が持ち出したりするわけです。民衆が賢くなってしまうと政策的な問題点を指摘されてしまうので、国民をあえて無知な状態にしておく。例えば、娯楽や消費に目を向けて政治に関心を抱かせないようにしておいたり、「難しいことを考えているヒマがあったらキリキリ働け」と勤労を過剰に礼賛、強制したり。それドコの独裁国家? ていうかドコの居酒屋チェーン? てな感じですが、つまりは衆愚政策のひとつとして「反知性主義」が機能することもあるんですね。
「みんな平等」「みんな常識的」「黙して働くことは素晴らしい」といった惹句は一見、収まりがいいので、余計にタチが悪いということもできるでしょう。もちろん、単に無知蒙昧を推奨するものではなく、実用主義、実践主義の文脈にも連なる考え方として機能することがあるので、一概に「悪」とは言い切れないわけですが。
自己啓発の文脈との関連
さて、本書は、アメリカにおける反知性主義の系譜と、その功罪について端的に理解できる書籍です。版元の紹介文を紹介しておきましょう。
「アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、米国のキリスト教が育んだ『反知性主義』にある。反知性主義の歴史を辿りながら、その恐るべきパワーと意外な効用を描く」
アメリカでは、独立宣言にもあるように「すべての人は平等に創られた」というキリスト教的な価値観、世界観が社会に通底しています。そのアメリカで、反知性主義がどのように機能してきたのか。知的エリートを嫌うような風潮、知識層を特権階級とみなして反発するような風潮の背景にあるものは一体なんなのか。徹底した平等主義の考え方は、アメリカにどのような価値観をもたらしたのか。建国から3度のリバイバル(キリスト教の熱心な信仰者が急増する動き。信仰復興運動)を経て、反知性主義がどのように発展し、変化していったのか。本書では、そうした動きが活き活きと、明瞭に描かれていきます。
資本主義社会の盟主たるアメリカを裏支えしてきたイデオロギーを紐解いていく過程は、非常に知的好奇心をくすぐられるものですし、筆致もわかりやすいので、難しそうなテーマでありながらサクサクと読み進めることができるのも、とても心地よいのです。
本書を通じて、僕が個人的に非常に興味を持ったのは、昨今のビジネス書界隈における自己啓発の文脈との関連です。アメリカ型のポジティブシンキング原理主義的な自己啓発を理解するうえで、本書はとてもよい参考文献になることは間違いありません。
さらに付け加えるなら、僕が折りに触れてオススメ本として挙げている『ポジティブ病の国、アメリカ』(河出書房新社/バーバラ・エーレンライク著)と併読すると、限界を迎えつつあるアメリカ型の自己啓発、ポジティブシンキングの問題点やムズムズするような違和感の正体がジワジワと浮かび上がってくると思われます。
反知性主義への正しい理解
ここで念のため強調しておきたいのですが、本書は反知性主義を一概に否定しているわけではない、という点。書中では、次のような記述が登場します。
「(反知性とは)単に知の働き一般に対する反感や蔑視ではない(中略)最近の大学生が本を読まなくなったとか、テレビが下劣なお笑い番組ばかりであるとか、政治家たちに知性が見られないとか、そういうことではない。知性が欠如しているのではなく、知性の『ふりかえり』が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である」
冒頭でも述べたように、最近、反知性主義というキーワードが妙に注目されておりまして、これをタイトルに冠した本も、ここのところリリースが重なっております。例えば、内田樹編著の『日本の反知性主義』(晶文社)、佐藤優と斎藤環の共著『反知性主義とファシズム』(金曜日)などがそうです。また、雑誌「現代思想」(青土社/2月号)では『反知性主義と向き合う』てな特集がドンッと掲載されていたりしますし、タイトルなどでとくに謳ってはいなくても、反知性主義の文脈を盛り込んだ言説は少なくありません。
それらは往々にして、現状を憂う諦観的、厭世的視点と絡めて語られていたりします。たとえば、ネトウヨ、バカッター、集合痴といったインターネット・ディストピア的文脈、マイルドヤンキー、新保守、貧困といった社会時評の文脈に、反知性主義を絡めた言説もわりとよく目にするものです。
しかしながら、反知性主義に関する理解を深めた上でそれらの言説に触れると、「そう短絡的に語り切れるものでもないんじゃないかな」と思えるような、極端な論考も多いことがわかってくるでしょう。
反知性主義を単なるバズワードとして消費してしまうような論調に踊らされない、冷静な視線を自らに組み込んでおくためにも、本書は極めてお役立ちの一冊といえます。
(文=漆原直行/編集者・記者)