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熊谷充晃「歴史の大誤解」

日本、超速の近代化は偶然&ドイツのお陰だった!なぜ明治維新直後にアジアの頂点に?

文=熊谷充晃/歴史探究家
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日本、超速の近代化は偶然&ドイツのお陰だった!なぜ明治維新直後にアジアの頂点に?の画像1岩倉使節団(左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通)
 明治維新の立役者たちが中心となって成立した明治政府。その主導で、欧米列強に追いつけ追い越せとばかりに、さまざまな分野で近代化を強力に推進していたのが明治初期の日本だ。スローガンとして有名なのは「富国強兵」や「殖産興業」だろう。
 
 その成果は、1894年に勃発した日清戦争、続いて1904年に開戦した日露戦争に相次いで勝利を収めることで、世界中に証明してみせたといわれる。

 しかし、日本の近代化は決して、ときの政府の慧眼だけで、はたまた日本人の勤勉実直な国民性だけで成し遂げられたものではない。「日本史」という枠を飛び出してみると、欧米列強を中心に回っていた当時の国際政治とも無縁ではいられなかった。開国して世界に扉を開いた日本は、その瞬間から国際情勢の影響も色濃く受けているのだ。

幸運

 日本が明治維新をゴールとする内乱に明け暮れていたころ、ナポレオン旋風の後を受けて19世紀中盤のヨーロッパは、自他ともに「大国」と認める5つの国が会議などで協調体制を維持する「ウィーン体制」が敷かれていた。構成国はイギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシア、これら「五大国」だった。

 このうちプロイセンは周辺国家を統合してドイツとなり、19世紀後半には「鉄血宰相」とのニックネームを持つ首相ビスマルクがけん引するようになっていた。彼が国際政治の舞台で目指したのは、不安定だったウィーン体制の強化。それも自国優位のかたちを取るものを理想とした。

 周辺諸国にモノいうために必要としたのは実力だ。そしてドイツの世界一といわれた陸軍力を背景に、ビスマルク自身の卓越した政治手腕も手伝って、当時のヨーロッパは「戦間期」ともいえる一時的に平和な時代を謳歌していた。経済的にも心理的にも各国が余裕を持っていたということだ。

 そこに近代化を目指す日本が入ってくる。あちこちの国に打診して技術供与や人的支援を願い出るのだ。仮に打診された国が戦争当事国だったらどうだろう。極東の後進国に、手取り足取り指導を施す余裕などなかったはずだ。そもそも交渉のテーブルすら用意されなかったかもしれない。

 しかし実際には、援助の申し出を受けた各国が、専門家を「お雇い外国人」として日本に派遣してくれたり、借款による経済支援を引き受けてくれたり、日本人一行の視察団を迎え入れてくれたりした。例えば、鉄道ならイギリスの全面的なバックアップを受け、昨年世界遺産に登録された富岡製糸場は、建設にも運営にもフランス人の多大な尽力があった。

 もちろん、極東地域への影響力拡大などという国益を見据えて「恩を売って」いた側面もあるだろうが、鉄道にせよ法制度にせよ何にせよ、世界の最先端をいく技術や思想の導入がスムーズに運んだことは、日本のスピーディな近代化に大きな役目を果たした。当時の日本は少なくとも、欧米列強に師事することなく独力で近代化を果たせるようなレベルにはなかったし、ナポレオンが活躍した時代に明治維新が重なっていたとしたら、日本は近代化を急ぐことなど不可能だったかもしれない。

「陰の立役者」はビスマルク

 さらに、当時の日本は数多くの面でドイツを手本にしている。明治憲法がドイツ的な立憲君主制を参考にしていることは有名だが、陸軍のありかたなどドイツに学んだジャンルは幅広い。それはひとえに、当時のドイツが世界をリードする強烈な存在感を放っていたからで、国家を強大化させる成功例として見習うべき点が多いと明治日本の政治家たちに認識されたからだ。その意味でビスマルクは、日本近代化の「陰の立役者」ともいえるのだ。

 明治維新から四半世紀。日本は日清戦争でアジアの頂点と認められる勝利を得た。さらに10年後、五大国の一員だったロシアを打ち破ることで、アジア初の新たな五大国のメンバーとして国際社会から一目置かれる存在となっていく。

 こうして「世界史の中の日本」を意識してみると、教科書的なイメージとは異なる、ひと味違う明治日本の姿が見えてくるのではないだろうか。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)

熊谷充晃/歴史探究家

熊谷充晃/歴史探究家

1970 年神奈川県生まれ。フリーライター。歴史探究家。近著は『教科書には載っていない! 戦争の発明』(彩図社)、『幕末明治動乱「文」の時代の女たち』(双葉社)、『テレビではいまだに言えない昭和・明治の「真実」』(遊タイム出版)、『世界文化遺産富岡製糸場と明治のニッポン』(WAVE出版)。週刊誌専属記者などを経て2005 年から著述家に。歴史全般のほか社会時事、スポーツ、芸能、ペットなど、ジャンルにより複数のペンネームを使い分けて活動し、自著は現在30 冊近く。また、企業の公式サイトやフリーペーパーなど多岐にわたるメディアで執筆している。

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