ワンレン・ボディコン、お立ち台、ジュリ扇……「ジュリアナ東京」を覚えていますか?
あなたにとって「懐かしい」とは、どんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めた情報サイトが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、90年代前半にブームを起こした「ジュリアナ東京」。「ワンレン・ボディコン」「お立ち台」「ジュリ扇子」など、独自の若者文化の発信源となった、この伝説的なディスコについて振り返っていきます。
開業時のコンセプトは、「普通のOL」のためのディスコ
金曜日の終電が間近に迫った東京メトロ・六本木駅のホームでは、疲れた表情のサラリーマンやオフィスレディが、帰路に就くべく電車に乗り込む。一方で、明らかにクラブへ向かうと思しきイケイケ系の男子&女子が同じ電車から吐き出されていくという好対照なシーンが見受けられます。
それと似たような光景が30年ほど前に、港区芝浦・海岸地区に建てられた「ジュリアナ東京」への最寄り駅・JR田町駅で繰り広げられていました。ハコやディテールが多少変わっても、「爆音&酒ではっちゃけたい」という若者のニーズは、いつまでも廃れないのでしょう。
「ジュリアナ東京」の営業が開始されたのは、1991年5月15日のこと。スタート当初のコンセプトは「普通のOLが上品な夜を過ごせる英国資本のコンサバティブディスコ」。その背景には、東京における今日のクラブシーンを切り拓いたといわれる1989年開業のディスコ「GOLD」(通称・芝浦GOLD)があります。
芝浦GOLDは極めてアングラな雰囲気を醸し出し、一般客が入りにくいディスコとして知られていました。そこで、それとは真逆の「ラグジュアリー感」を打ち出し、OLをはじめとした若い女性が気軽に遊びに来られる空間として「ジュリアナ東京」は誕生したのです。
ワンレン、ボディコン…育まれた独自文化
「ジュリアナ東京」の営業が開始されると瞬く間にブームとなり、全盛期は平日でも1000人以上は当たり前。金・土・日曜日は2000人以上で、3000人を超えることもあったといいます。
運営元の狙い通り、普通だけどちょっと遊び好きな若い女性たちがワンレン・ボディコンに身を包んで夜な夜な大挙して集い、「お立ち台」でジュリ扇(羽根付き扇子)を振り回して踊り狂いました。名物DJだったジョン・ロビンソンの「ジュリアナ~トキオ~!」という掛け声を合図に一斉にフィーバー。その光景が、バブル末期の日本を象徴するシーンのひとつとして現在に伝えられているのはご存じの通りです。
また、ワンレン・ボディコン、ジュリ扇をはじめ、ディスコから自宅付近まで車で送り迎えさせる「アッシー君」、帰宅途中の女子に「家まで送ろうか?」と声掛けするナンパ集団「ゲッターズ」など、ジュリアナを中心に独自の若者文化が育まれていきました。
2018年10月、大阪・梅田で復活!
そんな一大ムーブメントを巻き起こしたジュリアナ東京も、1994年8月31日をもって閉店。開店当初は、「上品な夜を過ごせる」と銘打たれていたものの、次第にナンパ目的の男性が増えて、雰囲気が崩れて荒んでいき、末期には収益も悪化したそうです。
現在、ジュリアナの跡地はオフィスが入ったビルにリノベーションされており、かつて、ワンレン・ボディコン女子でにぎわっていたとは思えないほど、静かな雰囲気が漂っています。
こうしてすっかり過去のものとなったジュリアナ東京でしたが、なんと、昨年10月に大阪・梅田で復活。リアルタイムでジュリアナを体験していた中高年はもちろん、ジュリアナを知らないミドル世代も気軽に踊って楽しめる「大人の社交場」となっているようです。気になる方は足を運んでみてはいかがでしょうか?
この連載では、次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)