あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めたサイトが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、甲本ヒロトが「THE BLUE HEARTS」(ブルーハーツ)以前に所属していたバンド。メジャーデビュー以前に地元岡山で活動していた「ラウンド・アバウト」、東京モッズシーンでカリスマ的人気を誇った「THE COATS」(ザ・コーツ)について振り返ります。
ヒロトが初めて所属したバンド「ラウンド・アバウト」
1985年に結成されたブルーハーツ。87年に「リンダ リンダ」でメジャーデビューすると、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」といった名曲を次々と生み出し、社会現象を巻き起こしました。
そんな、今なお伝説のバンドとして語り継がれるブルーハーツのフロントマンといえば、ご存じ甲本ヒロトです。タイムボカンシリーズとセックス・ピストルズが大好きな、岡山に暮らすロック少年・ヒロトは80年、高校生の時に亀山哲彦に誘われて、ボーカリストが抜けたハードロックバンド「ラウンド・アバウト」に加入。これが、ヒロトにとって初めてのバンド体験となります。
ラウンド・アバウトは、いくつかのオリジナル楽曲と、ザ・キンクス、ザ・ローリング・ストーンズ、セックス・ピストルズなどのカバー曲を演奏するローカルバンドとして精力的に活動。地元のラジオ番組に出演したこともありますが、82年頃に解散してしまいます。
「ザ・コーツ」では、すでに後のブルハ楽曲も歌っていた
その後、ヒロトはモッズ・バンド「ザ・コーツ」を結成。メンバーは、ラウンド・アバウト時代からの仲間・亀山哲彦(ベース)、後にTHE BLUE HEARTS初期の助っ人ベーシストを務める山川のりを(ギター)、田中秀明(初代ドラム)、大野貴保(2代目ドラム)。ドラムのみメンバーが流動的だったため、バンドとしての一体感にやや難があったといいます。
とはいえ、ヒロトの音楽的才能はこの当時から際立っていました。シンガーソングライターとしては、「NONONO」「少年の詩」「ロマンチック」「人にやさしく」(当時は「がんばれのうた」)「キスしてほしい」など、後にブルーハーツ名義で知られることになる名曲を次々と製作。ボーカリストとしては、荒削りながらもこの頃からパワフルで野太い声をライブハウスで響かせ、観客を魅了していました。
ヒロトの活躍もあって、ザ・コーツはまたたく間に東京のモッズシーンで絶大な人気を誇るようになります。その当時もうひとつ、東京のモッズシーンを代表するバンドが存在していました。それが、当時「マッシ―」と呼ばれていたマーシーこと真島昌利率いるバンド・THE BREAKERSだったのです。
THE BREAKERSにも、ブルーハーツ曲の元ネタ多数!
ヒロトとマーシーは、80年代前半に下北沢のバイト先で出会ってすぐに意気投合。その後、85年1月に互いのバンドが解散すると、同年2月にTHE BLUE HEARTSを結成することになります。ちなみに、THE BREAKERSにも、「さすらいのニコチン野郎」のもとになった「BEATにしびれて」や、「夜の中を」と微妙に改変された「夜の中で」など、後にブルハ楽曲になったマーシー作詞作曲の佳作がいくつかあります。見方によっては、ブルーハーツとはさしずめ、東京のモッズシーンを代表した2大バンドのフロントマンが手を組んだ、夢のバンドであるともいえるでしょう。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)
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