ユネスコが、中国の申請した旧日本軍による「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録した。日本政府は、「ユネスコの場をいたずらに政治利用すべきでない」と中国側に抗議。ユネスコに対しても、「断固たる措置を取る」という勇ましい声が伝わってくる。菅義偉官房長官は、分担金の支払い停止にまで言及した。さらにインターネット上では、「南京での蛮行や虐殺はなかった」「南京事件は証拠もすべてでっち上げ」などという言葉が飛び交っている。少し頭を冷やし、自国を客観的に眺め、もっと冷静に事態を受け止めたほうがいいのではないか。
「世界記録遺産」の意味と意義
自民党の二階俊博総務会長も、「ユネスコが『日本が悪い』と言うのであれば、日本として『資金はもう協力しない』くらいのことが言えなければ、どうしようもない。協力の見直しは、当然、考えるべきだ」と述べ、拠出金を見直すべきだと述べた。しかし、この発言は、前提が二重に間違っている。第一に、なにもユネスコは「日本が悪い」と言っているわけではない。第二に、南京事件について「日本は悪くない」などとは、どう転んでも言えないからだ。
そもそも世界記憶遺産は、後世に伝えるべき文書などの記録物を保存し、デジタル技術を使って公開するための事業だ。歴史については、出来事そのものではなく、それを記録した資料が対象となる。審査では、もっぱら資料の保全や管理の必要性が検討され、そこに記述された内容が、すべて歴史的に正しいかどうかまで検証するわけではない。あくまで、今回中国が申請した資料は保存する価値があると認めた、ということだ。その資料のひとつである南京軍事法廷の判決の中に、「被害者総数は30万人以上」と書かれているからといって、ユネスコがこの数字を歴史的に正しいと認定した、という性質のものではない。
それに、南京陥落後に日本軍による捕虜・市民の殺害や略奪などの行為があったことは明らかであり、日本側も認めてきた。第一次安倍政権の時に始まった日中共同歴史研究の日本側研究者による報告書には、こう書かれている。
「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」
そして、虐殺が起きた原因として、
「宣戦布告がなされず『事変』にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点」
などを指摘している。
外務省ホームページでも、「南京大虐殺」について、日本軍による「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」とし、日本側の行為について、日本政府は「痛切な反省」「心からのお詫びの気持ち」を持ち続けている、と書かれている。
安倍首相も、この8月に戦後70年を迎えた談話の冒頭、「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならない」と述べた。さらに、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明してきた歴代内閣の姿勢は、「今後も、揺るぎない」と誓っている。
そうであれば、戦後70年たって、この悲惨な出来事を目撃した人の多くが世を去った今、国連機関がそれを記録した資料を保存し、共有し、後世に伝えることに反対する理由はないだろう。「過去の一時期の負の遺産をいたずらに強調しようとしている」(菅官房長官)などという日本政府の反応は、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」とは矛盾しているのではないか。
世界からの評価を下げる日本の対応
大事なことは、中国を言い負かすことではなく、国際社会の中で日本がどのように振る舞っていくかだ。