東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐり、東京第5検察審査会が東電の旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で起訴すべきと議決。2度目の起訴相当議決となり、今後東京地裁が指定する検察官役の弁護士によって、3人は強制起訴されることになる。これを伝える報道では、<「原発事故 法廷で真実を」>(朝日新聞)、<原発事故「真実 法廷で」>(読売新聞)、<真相究明へ「一歩」>(毎日新聞)などと、「真相」や「真実」などの言葉が飛び交った。果たして、これから起こされる刑事裁判は、「真相解明」の場になるのだろうか――。
立証が困難な津波の“予見可能性”
刑事司法に関する報道で、被害者らの口を借りて「真相」「真実」という言葉を多用し、人々の期待を煽るのは、日本のマスメディアのよくないクセである。刑事裁判の主目的は被告人個人の責任追及で、事案の真相解明機能は極めて限定的であることは、記者たちもよく承知しているはずだ。
勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の「厳重な処罰」(告発状)を求めて告訴・告発した人たちにとっては、「勝俣氏らは本件のような事故が予見できたにもかかわらず、回避するための措置を講じなかった」との「真実」が、刑事裁判で確認されることを期待している。ただ、その主張を裏付ける証拠がどれほどあるのかが問題だ。そのことも、記者諸氏は把握しているはずである。
通常の刑事事件は、検察官が起訴し、裁判で被告人の有罪を確実な証拠で、合理的な疑いを入れない程度にまで立証する責任を負う。検察が不起訴と決めている強制起訴事件では、裁判所が指定した弁護士が検察官役を務め、同様の立証責任を負う。当然のことながら、被告人には無罪推定が働く。
過失を立証するには、今回のような巨大津波が発生し、長時間の全電源喪失が起こり、重大で過酷な事故につながることについて、勝俣会長らが事前に、ある程度具体的に予測できたこと(予見可能性)を証明しなければならない。さらに、今回のような事故を回避する措置を講じることが可能で、それを行う義務に反していたこと(結果回避義務違反)も示す必要がある。
そうした立証は、事故が起きてからわかった事実を基に、「今から思えば、あの時こうしていれば……」とあれこれ考える「結果論」ではダメである。今回の議決書では、津波の可能性は「万が一」で「まれにある」程度であっても、適切な津波対策を行うまでは原発の運転を停止するなどの措置が必要だった、としている。東電関係者の中にも、「今思えば、そうしていればよかった」と悔やむ人はいるかもしれない。ただ、刑事裁判においては、事故が発生する前の状況や知見を前提に、予見可能性と結果回避義務違反を証拠で示せなければ有罪にはならない。検察は、それは不可能だと判断し、2度にわたって不起訴処分とした。それを、指定弁護士は立証できるだろうか。
指定弁護士確保への厳しい条件
本件事故では、いくつかの事故調査委員会が調査や検証を行っている。あらためてそれを読むと、危機を現実的なものと想定しない安全神話は、歴代東電関係者のみならず、規制官庁など政府の原発にかかわる専門家の間に蔓延していたことがわかる。高い津波が発生する試算もあったのに、東電はそれを現実的なものとして受け止められず、とりあえず土木学会に打診。政府の保安院も報告を受けながら、漫然と過ごしていた。そうした風潮こそが大問題だったわけだが、この当時の状況と知見を前提に、勝俣氏ら3人の個人責任をどこまで問えるのだろうか、という問題もある。