2011年の東日本大震災以降、筆者は福島県浜通り地方の医療支援を続けており、もうすぐ4年半になる。
現在、当研究室を卒業した多くの医師が、福島県の相馬市や南相馬市、いわき市の医療機関で常勤医として働いており、筆者自身、福島県には毎週のように足を運んでいる。
最近、福島で話題になるのは復興予算の削減だ。6月4日、復興庁の復興推進会議(安倍晋三議長)は、16~20年度の復興予算を6兆5000億円程度にすることを決めた。予算規模は、過去5年間の4分の1程度だ。
福島は、これから復興バブルの破綻を経験することになる。いわき市の会社経営者は「一気に景気が冷え込むでしょう。倒産が相次ぐと思います」と語る。
しかし、多くの国民は、もはや福島にあまり同情的ではない。「福島には莫大な税金を費やしてきた。そろそろ、減らしてもいい頃だろう」と考えているのかもしれない。
確かに、そういう側面もあるが、現時点で福島は完全に復興したわけではない。東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う放射能の除染や廃炉作業は続いているし、住民の帰還のめどはついていない。それどころか、帰還については住民の合意形成の難しさに困り果てている。
その象徴が6月17日、政府の原子力災害現地対策本部が、楢葉町の避難指示を「8月中旬のお盆前に解除」する方針を示したことだ。これには、若い世代を中心に反発が広がっている。
楢葉町は、福島第一原発から10~20キロ圏に位置する。双葉町、大熊町、浪江町、富岡町などと比べると汚染は軽度だ。しかし、楢葉町の帰還ですら、合意形成はなかなか難しい。
では、どうやって住民のニーズに応えればいいのだろうか。私は「きめ細かい対応」しかないと思う。この問題を考える上で、興味深いケースがある。平田村のひらた中央病院と、双葉郡川内村の取り組みだ。
住民の帰還問題を解決に導く川内村の特養
筆者は先日、ひらた中央病院を訪問した。平田村は福島第一原発の南西、阿武隈高地に位置する人口約6300人の村だ。同病院は、この地域で唯一の病院である。
ひらた中央病院を経営する医療法人誠励会が今秋、川内村に約80床の特別養護老人ホームを開設する。川内村で初めての特養だ。訪問の目的のひとつは、この施設の見学だった。
繰り返すが、現在福島では、原発事故による避難者の帰還が議論されている。苦労しているのは、住民の間でニーズが異なることだ。
特に、福島市などの都市部に避難し、その生活に慣れた若い世代の中には、帰還しない人も多い。前述したように、彼らの中には避難指示解除を喜ばない人も少なくない。
一方、どうしても都市部の生活になじめない人もいる。特に高齢者に多いが、彼らは住み慣れた浜通りあるいは阿武隈高地での生活に戻りたい。どうすれば、その期待に応えることができるだろうか。
その解決策のひとつが、川内村に建設される特養だ。この仕組みを用いれば、年老いた被災者が住み慣れた双葉郡で助け合いながら暮らすことができる。昨今問題となっている、独居老人の孤独死も起こらない。
確かに、大熊町や双葉町の住民にとって、川内村は故郷ではない。ただ、現在避難している福島市や郡山市と比べて、その環境は故郷に近い。私が知り合った浪江町出身の避難者の中には、「早く山の生活に戻りたい」と言う人がいた。彼らにとって、この施設は魅力的だろう。
この仕組みは、川内村にとっても都合がいい。特養で働く大勢の若者が移住してくるからだ。まちおこしにもつながるだろう。ただ、この仕組みが機能するには、介護と医療および行政のサポートが欠かせない。つまり、この程度の絵なら誰でも描けるわけで、大事なのは機能するか否かだ。
そうした意味で、川内村と誠励会のコンビは絶妙だ。川内村の遠藤雄幸村長は、誰もが認める被災地のリーダーである。震災後、川内村は全村避難となったが、復興のスピードが速かった。12年1月には「戻れる人から戻りましょう」と帰村宣言を出したのだ。
震災前、川内村の人口は3038人だった。14年11月現在、1565人が帰村し、公設民営型の複合商業施設も建設中だ。
筆者たちも健康診断や内部被曝検査を手伝っている。そして、13年12月には科学雑誌「PLOS ONE」(Public Library of Science)に、川内村への帰還者149人の検査結果を発表した。(http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0081909)
5人から放射性セシウムが検出されたが、平均5.3Bq/kgとそのレベルは低く、川内村全体として内部被曝は問題となるレベルではなかった。多くの帰還者は川内村で穫れた野菜を食べており、この研究結果は川内村に帰っても被曝は問題とならないことを証明した。当然、その後の帰村に大きく貢献したと聞いている。
筆者たちが健診や内部被曝検査などの活動を遂行できたのは、川内村役場のチーム力のおかげだ。遠藤村長が率いる川内村役場の方々は、住民への説明、我々への案内などを完璧にこなしてくれた。この場を借りて、お礼を申し上げたい。
故郷のために尽力する誠励会
次に、誠励会(http://www.seireikai.net/index.html)について紹介しよう。
震災後、誠励会の動きは迅速だった。すぐに震災復興支援放射能対策研究所を立ち上げ、11年10月に内部被曝検査、12年3月に食品検査、同年11月に甲状腺検査、13年12月にはBABY SCANという装置を開発し、乳幼児に対する内部被曝検査を開始した。
前述した川内村の内部被曝検査を行ったのは誠励会であり、このような活動は学術論文として発表もされている。福島の内部被曝検査を牽引してきたといっても過言ではないだろう。(http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0100302)
しかし、一連の検査に国や県からの補助はなく、基本的には誠励会の持ち出しだ。なぜ、彼らは、そんなことをするのだろうか。
それは、誠励会のスタッフの多くが、この地で生まれたからだ。佐川文彦理事長は「故郷をなんとかしたい。ただそれだけです」と語る。その熱意は、周囲に伝わる。12年3月から、当研究室の坪倉正治氏は内部被曝検査を手伝っており、学術論文としてまとめたのは彼だ。
また、昨年10月には相馬中央病院の元院長である齋藤行世医師がひらた中央病院の院長に赴任した。いわき市立総合磐城共立病院の勤務医時代に、佐川理事長と知り合い、その奮闘ぶりを見て「なんとかしたい」と思ったそうだ。
齋藤院長の活躍は目覚ましい。今年4月、自らの専門である内視鏡センターを立ち上げた。また、かつての教え子である武藤学京都大学大学院医学研究科・医学部教授(腫瘍薬物治療学)に助けを求め、京大から多くの医師を派遣してもらうようになった。
齋藤医師には、人望がある。多くの医師が「彼を助けたい」と平田村を訪ねており、筆者もその中の1人だ。また、相馬中央病院で消化器内科の後期研修を行い、現在京大大学院に在籍する西川佳孝医師は「できることはなんでもしたい」と語る。やがて、西川医師も平田村にやってくるだろう。
福島では、信頼に基づく独自のネットワークが育ちつつある。その象徴が、川内村に開設される特養だ。ネットワークが拡張し、この地に有為な人材が集うようになれば、このモデルはほかの地域にも広がっていくだろう。福島は、着実に復興しつつある。
(文=上昌広/東京大学医科学研究所特任教授)