今国会の焦点だった安全保障関連法が強行採決された。特別委員会で総括質疑もせず、与党議員が議長席を取り囲んで、議長の発言がまったく聞き取れない中で「採決」を行ったとして本会議に送った経緯を見れば、政府がなんと言おうと「強行採決」だろう。近年、日本ではまれに見る規模の反対運動が起きたが、何がなんでも今国会で成立させるという政権の強硬姿勢を止めることはできず、運動は完敗した。
成功した与党による“争点隠し”
敗北したのは反対運動に加わった人たちばかりではない。法律の中身や政府・与党の進め方には、多くの国民は納得していないようで、各メディアが可決後に行った世論調査では、政府・与党の説明を「不十分」とする声は依然として8割に上り、法案成立には6割近くが否定的な回答をしている。それを見れば、国民の大多数が政府・与党に負けた、ということになる。
ところが、どうしても負けを認められない人が少なくない。私がツイッターで「敗北」との表現を使ったことに対し、憤怒のリプライや批判ツイートがかなりあった。確かに、運動は近年稀にみる盛り上がりだったし、若い人たちの積極的な参加もあった。国民が憲法について改めて考える機会にもなり、意義は大きく日本の政治文化に少なくない影響を与えるのではないかと思う。
しかし、「本当に止める」と言っていた法案成立を止められなかったのは、やはり負けだろう。それに対して、「いや、悪いのは、国民の声に耳を傾けない安倍政権だ」などと言っているだけでは事態は変えられない。
しかも、自民党はかつてとは異なり、今や総裁選挙で他の候補者が出馬できないほど安倍支配が強く、多様性が失われている。そうであればなおのこと、現政権とは異なる意見が、もっと政治に反映される状況をつくり出すよう真剣に考えなければならない。そのためにも、ここは負けを直視し、敗因を分析し、そのうえで「次」を考えることが大切なのではないか。過去を振り返り反省することは、未来につながる。
詳細な分析は専門家や運動に携わってきた人たち自身に任せたいが、早いうちに問題の本質を国民に伝えきれず、2014年11月の総選挙の際に明確な争点化ができなかった点は大きかった。
ここでいう「問題の本質」とは、国の基本方針として長く維持してきた憲法解釈を、憲法改正の手続きに乗せず、一内閣の判断によって変更する政府・与党の手法が、「立憲主義」に反し、日本の政治の土台そのものを揺るがしているのではないかという問題提起である。
「立憲主義」については、法案が参議院で採決される直前、衆議院で野党が提出した内閣不信任決議案の趣旨説明を行った枝野幸男・民主党幹事長の演説の中でわかりやすく説明されている。
「権力は憲法によって制約される、権力者は憲法に従ってその権力を行使しなければならない、これが立憲主義であります。まさに内閣総理大臣たる者、この立憲主義によって拘束される。われわれ国会議員も、権力の一端を一時的にお預かりする者として、憲法に縛られ、憲法に反する法律をつくらない、そのために努力をするという責任を負っています」
「私たち国会議員がお預かりをしている『立法権』という権力、それは何によって与えられているんですか、預かっているんですか。内閣総理大臣の権力、それは何によって与えられているんですか』