正社員になっても…
それでも、仕事への関心の高さは維持されていた。尊敬する先輩社員もおり、近いうちに正社員登用の面接もあるだろうとの期待もあったからだ。働き続けていれば、20年の東京オリンピックにも仕事を通して関わる見込みがあった。
正社員登用の話があったのは、まさにそんな時期だ。
航太さんの死後にわかったことだが、淳子さんが同僚社員に話を聞いたところ、昼夜を問わないような働き方をしていたのは航太さんだけだったと証言したという。
航太さんにすれば、現状が厳しいのはアルバイトだからで、正社員になれば求人票通りに、夜勤なし、マイカー通勤不可が適用される見込みがあった。おそらく本人はそう思ったのだろう。
そして、アルバイト開始からちょうど5カ月後の14年3月16日、航太さんは正社員に登用されたが、最後の期待が裏切られた。正社員登用後の1カ月の残業時間が約87時間だったことは前述の通りだ。
さらに、4月16日から死亡前日(23日)も、勤務日数が5日なのに対して、会社の記録上の労働時間は60時間42分に上る。1週間の所定労働時間(40時間)を20時間以上オーバーし、4週間で見込まれる残業時間は80時間を超える。
基本給は5万8000円
事故前日の23日午前1時ごろ、航太さんは22日の作業を終えて帰宅し、食事もとれないまま、着替える間もなく倒れるように寝入ったのを淳子さんが見ている。
23日午前11時ごろ、再び原付自転車で出社。電車を使わなかったのは、作業の終了時刻がはっきりしなかったからのようだ。
退社できたのは約22時間後の24日午前8時50分ごろ。夕方から翌週の作業予定のミーティングがあるため、少しでも多く休息を取ろうと、航太さんは仮眠せず原付自転車で帰宅中、事故を起こした。
この日は、正社員としての初任給振込日の前日でもあった。
航太さんは自分の初任給の明細書を見ることができなかったが、後日、淳子さんが会社から受け取った給与明細書によると、基本給はわずか5万8080円で、休日・時間外手当は空欄だった。
グリーンディスプレイの主張
この事件は現在、遺族が会社を相手取って損害賠償の支払いを求める裁判を起こしている。訴状によると、会社には勤務シフトを調整して睡眠不足や過労状態を避ける安全配慮義務があったが、会社がこれを怠ったとするのが遺族の主張だ。
提訴は航太さんの死亡からちょうど1年目の今年4月24日。横浜地方裁判所川崎支部で審理が進められており、会社側は、業務と航太さんの死亡には因果関係がないなどと反論している。航太さんの死亡は、通勤災害の認定を受けている。
現在までの会社側の主な主張は以下のとおり(要点のみ、筆者まとめ)。
・従業員の健康管理は最大限していた。
・航太さんが休憩を取らず連続して労働していた事実はない。
・仮眠室では快適に睡眠を取ることが可能である。
・事故は居眠り以外の原因による可能性を否定できない。
・23日に原付自転車で出社したのは航太さんの都合である。
・事故当日は鉄道で帰宅できたので使うべきであった。
同社は、「裁判で粛々と主張していく」と述べている。
(文=佐藤裕一/回答する記者団)
※より詳しい内容は「MyNewsJapan」または「回答する記者団」でご覧いただけます。