「明治時代以来」と銘打った大学入試システムの大幅な改変が頓挫して、政府及び当局は面目を失った。事情はどうであれ、当事者である受験生や各高校の関係者に不要な混乱と負荷を与えたことは明らかで、拙速な立案と導入に携わった関係者すべてに猛省を促したいところだ。ただ、その一方で、望ましい施策も実行されようとしていることも指摘しておくべきだろう。全国で導入される私立高校授業料の実質的な無償化である。
私立校への進学希望を家庭の事情で泣く泣く諦める、連綿と続いていた“15の春”の残酷な選択が、この救済措置によって相当な部分、解消されることになるのだろう。教育基本法にも明記されている、学びの大前提である機会均等の点からも喜ばしいことだ。何より長い景気回復局面が懐には反映せず、日々教育費の捻出に頭を悩ませていた、数多くの保護者は歓迎するのではないか。
しかし、いかに優れた施策であっても、新しい制度の導入は光と影、それを追い風にする者と、むしろ逆風を受ける者を生むことも確かだ。私立校の授業料無償化によって、割を食う形になっているのは首都圏の公立校、特に同じエリアの私立校と激しい競合関係にある東京の都立高校であり、すでにその影響は表面化している。
東京都では国に先駆けて2017(平成29)年度から私立校の授業料無償化を進めており、所得制限も段階的に緩和している。同時に進行しているのが、受験生及びその保護者の私立志向、公立離れだ。無償化が決定し導入された翌年には、多数の都立高校が定員割れに追い込まれ、自他ともに認める国内の公立トップ進学校である日比谷でも、併願校に想定上の以上の合格者が流出して追加募集を余儀なくされた。
増加を続けていた受験者数も減少に転じている。今年1月7日に東京都教育委員会から発表された都立高校全日制志望予定調査によれば、今年度の志望予定者数は4万9445人であり、直近のピークであった平成29年度に比べて約1割も少なくなり、3年連続の減少は避けられない見通しだ。
「トレンドは変わったように感じる」と語るのは都内の学習塾関係者だ。
「この10年ほどは家計への負担が少なく、進学の実績もあげている都立校の人気が高まる一方で、トップクラスを除く私立校は敬遠されるようになっていた。しかし無償化が始まって以降、保護者の私立校への関心は高くなっている」
それまで多かった都立第一志望、私立滑り止めのから、ワンランク上の私立を目指して都立を滑り止めにするパターンが増えているともいう。こうした趨勢を受けて、都立校受験を主眼にしたコースに力を入れていた予備校や学習塾でも、路線の修正に動いているところもあるようだ。
トップクラスの都立高校や公立中高一貫校への影響は軽微か
今後はどうなるのか。
「(都立が躍進した)反動はしばらく続く」(学習塾関係者)
無償化の上げ潮に乗った私立校が進学実績の面で巻き返すとの見立てだ。これはうなずけるところだろう。学校群制度によって都立の凋落と私立の台頭は始まり、選抜方式の変更や公立中高一貫校の認可によって、都立の復活が本格化した。システムの変更や行政の支援は、その都度それぞれの消長に大きな影響を与えてきた。そしてベクトルが定まると、反転するには相応の時間を要する。
さらに具体的に、どの学校がより逆風を受けるのか。関係者からは明確な回答は得られなかったが、以前進学力に基づいて主要な高校のレーティングを行った経験から、いくつかの予測はできる。
まず、逆風下であってもトップクラスの都立高校(日比谷、西、国立など)が難関大学への進学実績を著しく落とすことは考えづらいだろう。歴史と伝統を備える名門校として受験生や保護者の信頼度は高く、特にこの10年ほどの実績は高位で安定している。一般に進学校はトップクラスになるまでが難しく、いったんその座を得ると、特に公立校は固定化しやすいものだ。現状程度の難関大学合格者数を維持することは、そう難しいことではあるまい。
同様に小石川、武蔵、両国などに代表される公立中高一貫校も、大きな影響を受けることはなさそうだ。小規模校であることを考慮すると、近年の進学実績はトップクラスの公立校と遜色はない。また私立中学は無償化の対象にはならず、コスト面での優位性はなお高い。
一方で逆風を受けやすいのは、入学時の難易度でトップクラスに次ぐ二番手校から中堅上位校と目されるところになるのだろう。競合する私立校にはかつてはトップグループに加わっていたか、それに迫っていた実力校も含まれ、進学実績で再び離される公算はある。直近の各校の進学実績を調べても同程度の難易度の学校間でも格差は生じており、いわゆる割り負け感のあるところは群れから落ちていくのではないか。
(文=島野清志/評論家)