子どもを守るべき親が我が子に危害を加える“児童虐待事件”が増えている。その壮絶な実態と共にクローズアップされているのが、児童相談所(以下、児相)の対応だ。「児相が早く動けば子どもの命が救えたのでは」などと批判の対象になることもあるが、児相の労働環境の過酷さが対応の遅れを招いている、という見方も強い。ブラック企業よりもキツい児相の労働環境について、専門家に話を聞いた。
職員1人で100の案件を抱えるケースも
児相に対して「虐待を受けている子どもを保護する場所」というイメージを持つ人は多いだろう。しかし、児相の役割はそれだけではない。
「児童相談所とは、都道府県と政令指定都市が設置している行政機関のひとつです。18歳未満の子どもに関するさまざまな相談を受けたり、調査をしたり、心理診断をしたりしながら家庭を支援する機関。そのため、児相で働く児童福祉司の仕事は多岐にわたります」
そう話すのは、明星大学人文学部福祉実践学科で常勤教授を務め、虐待や家庭相談のあり方を研究している川松亮氏。
「児相の仕事でもっとも多いのは、障害がある子どもが社会的援護を受けられる『療育手帳』の判定。続いて多いのは、子育てに関するあらゆる相談に乗る『養護相談』です。相談内容はしつけや貧困に関するもののほか、保護者が病気になった、逮捕されてしまったなどの事情で子どもを育てられない場合も、児相が相談を受けます」(川松氏)
虐待への対応は「養護相談」に含まれ、児相に寄せられる相談の3分の1を占めるという。そのほか、18歳未満の子どもたちの家出や虚言などの問題行動を更生に導く「非行相談」も児童福祉司の大切な仕事だ。
「児相の最大の特徴は、家庭から子どもだけを分離して一時的に保護する『一時保護』ができる点です。虐待によって子どもの命に危険が及んでいる場合や、育成環境が劣悪な家庭から保護することができます。その後も児童福祉司が調査を進め、家庭に返すのは難しいと判断した場合は、施設に入所させたり里親に委託したりするなど、子どもの『措置権限』も持っています」(同)
実際に子どもが施設に入るには親権者の同意が必要となる。しかし、親権者が同意してくれない場合は、児童相談所長が家庭裁判所に訴訟を起こすなどの法的措置をとることもあるという。
「さまざまな業務や案件をひとりの児童福祉司が担当することが多く、ひとりで100以上の案件を抱えているケースもあります。自治体によって分業しているケースもありますが、仕事量に対して児童福祉司の数が足りていない、圧倒的な人材不足はどの地域も同じです」(同)
日本の児童福祉司は、2019年4月現在で全国にたった3800人ほどしかおらず、ひとり当たりの平均担当件数は50件以上(「児童虐待防止対策体制総合強化プラン<案>」)といわれる。案件が多すぎるため「一つひとつの家庭に向き合う余裕がない」というジレンマを抱えているのだ。
虐待する親から攻撃される日々
「児童福祉司の勤務の特徴は“勤務時間の長さ”です。特に、虐待通告を受けた場合には48時間以内に子どもの安否を確認しなければならないというルールがあるので、児童福祉司は迅速な対応が求められます。昼夜問わず児童福祉司が家庭を訪問し、不在の場合は休日に再び訪問……それを子どもの安全が確認できるまで繰り返します」(同)
この家庭訪問によって、児童福祉司は移動時間がとても多く、日中に事務作業が終わらないので夜遅くまで残業する……そんな悪循環につながっているという。結果的に、児童福祉司の時間外労働は「多少」では済まないレベルにまで膨れ上がっている。
「週刊東洋経済」(2019年9月21日号/東洋経済新報社)が全国の自治体を対象に行った調査では、児童福祉司の月の時間外労働の最大値について、千葉市で121時間、三重県では97時間という結果が明らかになった。過労死ラインの月80時間を優に超えている自治体が全国に点在しているのだ。
「何より、児童福祉司には“精神的な過酷さ”があります。虐待案件の場合、保護者がすんなり子どもを預けてくれず、児童福祉司と激しく対立するケースが多い。私が児童福祉司として働いていた頃も、保護者から罵倒されたり暴力を受けたりすることもありました。児童福祉司は肉体的にも精神的にも疲弊する仕事なのです」(同)
児相では児童福祉司のメンタルケアなども行っているものの、「年に1~2人の休職者が出る児童相談所もあります」と川松氏。さまざまなプレッシャーが児童福祉司たちを追い詰めているのだ。
政府の人手不足対策が不十分な理由
社会問題と化している児童相談所の人手不足。その背景には、児童虐待相談対応件数の急増が関係しているという。実際に相談件数は年々増しており、2018年度には過去最多の15万9850件(「平成30年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数」)を記録している。
「相談件数が増えた要因は2つ。ひとつは、虐待に関する市民への周知が進み、保育士や学校、近所の人などからの発見・通告が増えていることです。児童虐待の存在が知られ、かつては発見されなかった事例も虐待として通告されるようになりました」(同)
もうひとつの要因は“虐待の定義”が拡大したことにある。00年に施行された「児童虐待防止法」は幾度となく改正され、定義の拡大とともに該当する事例が増えているそうだ。
「以前は夫婦間の暴力・暴言は虐待に含まれませんでしたが、04年度の改正から夫婦間の暴力・暴言が子どもへの『心理的虐待』に該当するようになりました。そのため、警察官が夫婦間のDV案件で訪れた家庭に子どもがいた場合も、『心理的虐待が行われている』として児相に連絡が入るようになったんです」(同)
確かにDVが蔓延している家庭には警察や専門家の介入が必要だが、子どもを受け入れる児相の現場は、すでに限界を超えている。こうした状況を受けて、政府は22年までに児童福祉司を2020名ほど増員するプランを発表した。しかし、川松氏は「ただ増やすだけでは不十分」と話す。
「児童福祉司はとても専門性が高く、時間をかけて人を育てる必要があります。未経験者を大量に配属してしまうと、すでに手一杯の現場では満足な指導ができません。新たに増員された職員をどう育てるかということが大きな課題です」(同)
また、現在のように「児相=過酷、ミスが多い」というイメージが定着したままでは希望者すら集まらないのでは、と川松氏は危惧する。
「虐待事件で児相が激しいバッシングを受ける事例もありますが、実際には、児童相談所が親子にかかわったことで親子関係がよくなった事例がたくさんあるんです。まずは悪いイメージを払拭しなければ、目標の増員数に届かないかもしれません」(同)
何より、児童福祉司の働き方が改善されることは相談者と深く向き合うことにもつながる、と川松氏。
「近年では、NPOが虐待対応のサポートを担ったり、療育手帳の判定を他機関に移したりする例も見られますが、まだまだ少数派です。こうした取り組みを広げることも一案です。今後も親子の困りごとを解決していくためにも、“地域の人々”が彼らの仕事や家庭の子育てを支えられる仕組みづくりが急務です」(同)
地域の親と子のために懸命に働く児童福祉司たち。より多くの人々が彼らの仕事や現状を理解することが、虐待問題解決の第一歩になるのかもしれない。
(文=真島加代/清談社)
●川松亮(かわまつ・あきら)
明星大学人文学部福祉実践学科・常勤教授。過去に児童福祉司として働いた経験をもとに、虐待問題や子ども家庭相談の在り方を研究し、児童福祉司の育成にも携わる。
●「明星大学福祉実践学科」