大学卒業時点で借金6百万…過酷な奨学金返済で貧困転落続出 貧困で路上生活の若者も
相談に来る若い人には発達障害のあることが多く、職場で人間関係を築きにくいという面があります。聴覚過敏で職場にいること自体が難しい若者もいます。いま、人間関係をつくったりコミュニケーションをとることが難しいため、バイトすらできない高校生が増えていますが、こういった若者は貧困化していく可能性が高いかもしれません。
金子 人間は本来、多様なものが交じり合い、さまざまなことを体験しながら多くのものを習得するのに、社会の分断が進んで孤立する方向に向かっています。
生田 襲撃への対応として、小学校から大学まで野宿問題に関する授業を2001年から行っています。これは劇的な効果があります。野宿者が実際に話したり、私が経験を話したりします。川崎市では、こういった取り組みの結果、襲撃事件の数が半減しました。私は15年間で400回くらい授業をしていますが、多くの場合、授業のあと子供たちも「夜回りをしたい」と言ってくれるのです。釜ヶ崎では子供夜回りもあって、学習会をしておにぎりをつくり、大人と子供が夜回りをします。襲撃を減らし、野宿者と子供の相互の理解がつくられる効果的な方法です。
金子 生田さんが活動を始めたときにはなかったような問題が増えていますね。
生田 5年たつと風景が一変し、10年たつとほとんど別の問題になっているという感覚です。90年代前半までは、野宿者はほとんどが日雇い労働で、90年代後半には一般の失業者、そしてDVなど家族の問題や失業によって女性や若者が野宿をするようになりました。野宿の現場も、路上や公園からネットカフェ、ファストフード店、個室ビデオなどに変化していきました。精神障害、知的障害の問題も明らかに増えています。
金子 状況が少しずつ変わって、次々に新たな問題が発生し、また別の場所でも同様の問題が発生していくという感じですね。
生田 「釜ヶ崎の全国化」と呼んでいるのですが、釜ヶ崎で起きた問題が全国各地に広がっていくイメージです。
金子 『釜ヶ崎から』は、当事者として日雇いで働きながら生活困窮者を支えるルポとして考えさせられることが多いですね。ありがとうございました。
(構成=松井克明/CFP)
●野宿者ネットワーク代表 生田武志
1964年6月千葉市生まれ。同志社大学卒業(専攻は数学史)。大学在学中から釜ヶ崎の日雇い労働者・野宿者支援活動にかかわり、卒業後は日雇い労働者として働く。2000年、群像新人文学賞評論部門優秀賞受賞。2001年から各地の小、中、高校などで「野宿問題の授業」を行う。野宿者ネットワーク代表。現在は、釜ヶ崎の児童館のアルバイトや原稿書き、授業、講演などで生活している。活動は無報酬。