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藤井聡太の初タイトル獲得で負けた渡辺明、1カ月で三冠復帰の舞台裏…意外な記録達成

文・写真=粟野仁雄/ジャーナリスト
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大名人4人の掛け軸

 大阪市福島区の「関西将棋会館」5階の対局室「御上段の間」には、第一級の宝物がある。木村義雄、大山康晴、中原誠、谷川浩司の4人の永世名人(現役の谷川は引退後に名乗る)の揮毫による掛け軸である。最近ではこの部屋で話題の藤井聡太棋聖がたびたび戦ってきた。

 そのたびに報道陣が殺到するが、ある時、マナーの悪いカメラマンが4つの掛け軸が下げられた床の間に平気で上がって藤井を撮影する姿に仰天した。大山、中原時代から将棋が好きだった筆者は、老婆心ながら広報担当の若者に「あの宝物の掛け軸、破られでもしたら大変なことになる。カメラマンには厳しく注意したほうがいいよ。特に(故人の)大山さんと木村さんには書き直してもらうこともできないんだから」と忠告した。

 この広報担当氏は後日、取材時の注意事項説明で「絶対に床の間に上がらないでください。大事な掛け軸に何かありましたら、私もただではすみません」と気合十分に注意してくれていた。以後、そうした不届き者はいないようだが、対局室への報道陣の殺到も、今は新型コロナウイルス感染防止のための取材制限で消えている。

 さて、この部屋で8月14、15日と行われた名人戦七番勝負第6局。2日目の午後5時38分、豊島将之名人(30)が盤上に手をかざして頭を下げた。挑戦者、渡辺明(36)の決め手6四馬に投了したのだ。中盤からはもっぱら渡辺の攻勢だった。なんとか凌いで反撃したい豊島だったが、受けはなく歩切れで反撃も届かないようだった。

 投了図から詰みまで手数はかかる。「早めの白旗」についてAbemaTVで解説していた森内俊之九段(永世名人資格者)は「豊島さんは渡辺さんの力を知ってるし、棋譜を汚したくないと思ったのでしょう」と豊島の「美学」を評価した。昨年、佐藤天彦名人から奪った名人位を一期で失冠した豊島は、これで竜王の一冠に後退した。

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初めて名人になった渡辺明

「縁がなかった」名人位

 さて、渡辺明。1カ月前にはこの部屋で注目の藤井に棋聖位を明け渡していた。藤井の初タイトル献上者として、不本意ながら将棋界に名を残してしまっていた。これで三冠から二冠(王将、棋王)になったが敗戦ショックを引きずらず、すぐに三冠に返り咲いたのはさすが。「現在最強の棋士」との「呼び声」を維持した渡辺は「(棋聖戦と名人戦の)2つとも負けたら、ちょっと立て直さなくてはと思いましたが、なんとか1つにとどまったので……・」と安堵の表情を浮かべた。

 新たに奪ったのは棋士の憧れ、名人位である。勝利直後の会見であまり喜びを表さないことを記者に問われた渡辺は、「明日の朝、新聞とか見たりお祝いを言われたりしたら、実感がわくんじゃないかと思います」などと話した。そして「名人」について「自分には縁がないのかなと思っていた」とも吐露した。竜王位に11期も君臨するなど、これで通算タイトルは26期。歴代4位につけ、3位の谷川の27期にあと一つと迫った強豪だが、なぜか名人は初めてでこれまで挑戦もなかった。

 ほかのタイトルの主催社に気遣ったのか、名人位についての特別な喜びを披瀝しなかったが、会見に出ていた筆者には「縁がなかった」という言葉に思いが込められていたように感じた。棋聖、竜王、棋王などと違い、「名人」という言葉自体が普通名詞である。冒頭で紹介した掛け軸の谷川ら4人の大棋士も、やはり真っ先に浮かぶ代名詞は「名人」である。

 現在8つのタイトルがあるが、多くはトーナメント形式や短期リーグ戦などで勝ち上がる。名人だけは年度ごとに順位戦を昇級し、たった10人のAクラスのリーグでトップにならなくては挑戦者になれない。現在B2組の藤井は来年名人にはなれないが、谷川の21歳3カ月という最年少記録を抜く可能性はある 

歴代4位の年長記録

 さて、渡辺はまだ36歳3カ月なのに今回、意外な記録も達成された。名人初獲得の「歴代4位の年長記録」になったのだ。棋士として初の名人獲得としては49歳11カ月での米長邦雄、42歳6カ月での加藤一二三、39歳4カ月の升田幸三に次いでいる。

 渡辺はこの日、「この年齢になると、また次があるとは考えない。チャンスはあとどれくらいあるだろうと考えて取り組んでいます」と冷静に語った。若いといっても渡辺、加藤、谷川、羽生、藤井しかいない「中学生プロ入り」から20年以上も注目されてきた天才には、早熟ゆえの心労もあろう。ちなみに渡辺は中学3年で奨励会の三段リーグをトップで勝ち抜き四段、つまりプロ棋士の資格を得たが、当時は4月1日付でプロ入りとされていた。

 風貌からなのか「魔王」のあだ名を持つ渡辺はサービス精神旺盛な男だ。勝っても負けても会見などでは朗々とした美声でよく話してくれる。妻めぐみさんは夫を題材にした『将棋の渡辺くん』で漫画家デビューしたというユニークな夫婦だ。

 そんな渡辺が今後、大山や中原のように長期、名人に君臨し永世名人に名を連ねるのか。本当に楽しみだ。藤井の登場で最近は「最年少記録」ばかりが注目されたが、将棋界の「最年長記録」にも注目したい。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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