米WTI原油先物価格は1バレル=40ドル台半ばに上昇し、8カ月ぶりの高値で推移している。新型コロナワクチンへの期待に加え、米国での政権移行開始が主な要因である。
大統領選で勝利を確実にした民主党のバイデン前副大統領が実際に執務を開始するのは来年1月下旬からだが、早くも中東情勢に影響が出始めている。米国内のエネルギー自給度が高まったことから、トランプ政権は原油の大生産地帯である中東地域でかつてないほど大胆な外交を展開してきたが、バイデン次期政権はそれを大きく修正するとの見方も高まっているからである。
トランプ政権の中東地域での外交方針はイスラエル・ファーストだった。イスラエルにとっての脅威であるイランを封じ込める観点から、オバマ政権時代に関係がぎくしゃくしていたサウジアラビアを優遇した。バイデン氏が副大統領だったオバマ政権は、イラン核合意に象徴されるように中東地域のバランスを重視する外交だった。これに不満だったのはイスラエルとサウジアラビアであり、「バイデン政権になれば、オバマ時代の悪夢が蘇る」と危惧する両国が急接近するのは当たり前だったのかもしれない。
急接近するサウジとイスラエル
イスラエル紙ハーレツは、「ネタニヤフ首相が11月22日、国交のないサウジアラビアを訪問し、ムハンマド皇太子と会談した」ことを報じた。会談にはサウジアラビアを訪れていたポンペオ国務長官も加わったとされている。サウジアラビアはこの報道を否定しているが、会談はサウジアラビアの紅海沿岸に建設中の未来都市「NEOM」で開かれたようである。NEOMは脱石油改革を推進するムハンマド皇太子の肝いりの巨大プロジェクト(総事業費は5000億ドル)だが、サウジアラビアの人権弾圧などが災いして海外の投資家からの資金確保が遅々として進まない。
サウジアラビア政府は11月21日から2日間、オンライン形式でのG20・主要20カ国・地域首脳会合の議長を務めた。「中東の盟主」を国際的にアピールする狙いだったが、同国の人権侵害への批判が高まるなど、むしろサウジアラビアを取り巻く厳しい環境が浮き彫りとなった。
ネタニヤフ首相が「米国はトランプ大統領が撤退を決めたイラン核合意に復帰すべきではない」と次期政権を牽制していたことから、歴史的対談の中心は「イラン問題」だとされているが、イスラエル紙によれば、サウジアラビア側の最大の関心事は、イランの脅威ではなく、2018年のジャーナリスト・カショギ氏暗殺事件だったようである。
この事件についてサウジアラビア政府はすでに実行犯を処罰しているが、「バイデン新政権はこの問題を理由にサウジアラビアに制裁を科し、ムハンマド皇太子に対し逮捕状を出すのではないか」と危惧しているという。このためムハンマド皇太子はネタニヤフ首相に対し「この問題に関するイスラエルの支援を期待している」と語ったとされている。
バイデン新政権がサウジアラビアに対して制裁を科すかどうかは定かではないが、バイデン氏は選挙期間中に「サウジアラビアのイエメンへの軍事介入に対する米国の支援を停止する」と明言している。
原油市場混乱の懸念
歴史的な会談が行われた翌日(11月23日)、国営石油会社サウジアラムコの関連施設がイエメンのシーア派反政府武装組織(フーシ派)の攻撃を受けた。イエメン国境から650キロメートル以上離れた西部ジッダにある石油施設(国内向けに日量12万バレルの石油製品を供給)が損傷したものの、サウジアラムコは「国内の燃料供給に影響は出ていない」と説明している。
バイデン新政権の誕生に焦るサウジアラビアが11月中旬以降、イエメンでの空爆を繰り返してきたことに対するフーシ派の報復攻撃であるが、気になるのはサウジアラムコ周辺に米国のパトリオットミサイルが配備されていたことである。
イランメディアによれば、今回の攻撃に使用された武器は、巡航ミサイル「ゴッズ2」である。このミサイルは小型の翼を装備した新世代型であり、フーシ派が自ら製造したとされている。ゴッズ2が米国の最新鋭ミサイル防衛システムをくぐり抜けたとすれば、サウジアラビアの安全保障にとって大きな脅威であろう。
11月25日にもサウジアラビア南西部のシュケイク港で爆発があり、停泊中のギリシャ企業が運航する石油タンカーが損傷するという事案が発生した。サウジアラビアは「フーシ派による攻撃だ」と主張している。
フーシ派は「イエメンでの空爆を停止しない限り、さらなる大規模攻撃を実施する」と宣言しているが、思い出されるのは昨年9月のサウジアラビア東部の石油施設に対する大規模攻撃である。これにより、サウジアラビアの生産能力の半分に相当する日量570万バレルの原油生産が一時停止を余儀なくされた。大規模攻撃が行われる前にサウジアラビア国内を横断する原油輸送パイプラインなどが攻撃されていたことから、今回の石油施設への攻撃は今後の大規模攻撃のための予行演習である可能性がある。
それでは次の攻撃対象はどこだろうか。筆者は「ジッダの北に位置する原油積み出し港のヤンブーではないか」と考えている。東部の油田地帯からパイプライン(輸送能力は日量500万バレル)で運ばれた原油が欧州へ輸出されていることから、「ここを叩けば世界の原油市場は大混乱する。国際社会はイエメン問題に重い腰を上げざるをえない」とフーシ派は考えているのではないだろうか。
コロナ禍で揺れる世界の原油市場は今後も波乱含みのようである。
(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)