ロイターが11月10日に公表した世論調査によれば、米国人の8割近くが「ジョー・バイデン氏が当選した」と認識していることがわかった。共和党員でさえ約6割がバイデン氏の勝利を認めているのにもかかわらず、ドナルド・トランプ大統領は「不正選挙だ」として敗北を認めないという異例の事態が続いている。
1896年の大統領選以降、負けた候補が勝者に祝福のメッセージを送り、敗北宣言をする伝統があった。これにより政権移行のプロセスが始まる慣行だったが、現在の状況を見ていると、トランプ陣営が敗北を認め、11週間の政権移行期間に協力の手を差し伸べる可能性はゼロのように思える。
不自然な事態はこればかりではない。ポンペオ米国務長官は11月10日の記者会見で、「大統領選挙で勝利を宣言したバイデン氏への政権移行に協力する考えはあるのか」という質問に対し、「トランプ政権の2期目への政権移行は滞りなく行われる」と述べ、バイデン氏の勝利を認めない考えを改めて強調した。
ポンペオ長官は同日、ロナルド・レーガン・インスティチュートで行った講演でトランプ政権の対中政策について説明し、「米国の対中強硬策はまだ終わっていない」と述べた。ポンペオ氏はさらに中国共産党を「マルクス・レーニン主義の怪物」と評し、その支配は「独裁的かつ凶暴で、人間の自由と対極にある」と非難するとともに、レーガン元大統領の旧ソ連に関する発言を引用し、「結局のところ、中国の国民は旧ソ連の国民と同じように、最終的には国の歴史の道筋を決められるようになるだろう」と締めくくった。
米国務省は11月9日、香港の自治を損なったとして中国政府当局者4人をさらに制裁リストに追加しており、バイデン氏の勝利が確実になった後でも対中制裁を継続する意向を誇示している。
国防総省でも異変が起きている。トランプ大統領は11月9日、かねてより不満を表明していたエスパー国防長官を解任した。その理由はエスパー氏が選挙でトランプ氏が望んだような協力を拒んだからだとされている。全米で黒人差別撤廃運動が激しさを増していた今年6月、トランプ大統領は「弱腰のバイデンでは政情不安になる」と批判し、強い指導者であることを見せつけるために軍の出動を要求したが、エスパー氏がこれを拒否したという経緯がある。
政権移行期の軍トップの解任は、安全保障上リスクが大きいとされているが、選挙に協力しなかったことに対する「懲罰人事」を行使することによって、トランプ大統領は選挙の負けを認めず、今後も権力の座に留まる決意を内外に示す狙いがあるとの憶測が出ている。
エスパー氏の解任が発表されて以降、国防総省では10日、アンダーソン国防副次官(政策担当)、カーナン国防次官(情報担当)、スチュワート首席補佐官が相次いで辞任する事態となっており、極度の緊張感に包まれている(11月11日付CNN)。後任にはトランプ氏に忠実とされている人物が就くことになっているが、このような事態を受けて、スミス下院軍事委員長は10日、「トランプ政権は混乱と分裂の種をまき散らしている」と批判した。
米中軍事衝突の懸念も
国防総省で起きている異常事態については、日本国内でも懸念の声が上がっているが、この事態に最も敏感に反応しているのは中国である。
日本をはじめ世界では、「米国の大統領選挙のどさくさに紛れて、中国が台湾への軍事行動を起こすのではないか」と警戒されていたが、米国での不穏な動きを目の前にして、逆に中国側が「トランプ政権が政権移行期に中国への軍事攻撃を行うのではないか」と危機感を露わにしているのである(11月11日付ZeroHedge)。
国防総省幹部の大幅な「首のすげ替え」は、2003年、イラク戦争開戦を望んでいたとされる当時のブッシュ政権が、戦争に反対する国防総省の幹部を大量に更迭して以来の出来事である。今回の場合は、大統領選挙で敗北が決定した政権移行期の出来事であり、その異常さは際立っており、中国が震え上がるのは無理もないことである。仮に米国にその意図がなくても、「米軍に攻撃される」との恐怖心に駆られた中国側が、焦って先制攻撃を仕掛ける可能性も排除できない。
英国軍のカーター司令官は11月8日、スカイ・ニュースのインタビューで「世界の状況は先行きが非常に不透明で不安感が満ちている。地域の緊張激化と誤った判断は、最終的に大規模な軍事衝突となる可能性がある。新型コロナウイルスのパンデミックは、新たな世界大戦勃発の危機を招く可能性がある」と警告を発した。
カーター氏の発言が米中の軍事衝突を念頭においたものかどうかは定かではないが、中国発の新型コロナウイルスのせいで再選を阻まれたトランプ大統領の、中国に対する怨みの大きさは、容易に想像できる。2024年の雪辱を期すとされるトランプ大統領だが、中国との軍事的緊張を材料に政権移行を阻止するシナリオを描いているのかもしれない。
いずれにせよ、米国と中国という2大軍事大国間の「火遊び」は、世界に対して取り返しのつかない災禍をもたらすことを忘れてはならないだろう。
(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)