新型コロナウイルスが収束せず、日本は今まで経験したことのない年明けを迎えている。外出の自粛や3密の回避が取り沙汰される中で、年始の「初詣」をどうすればいいのか、と考えている人も多いだろう。すでに、2020年5月頃から「リモート参拝」を打ち出す神社や寺が現れており、東大寺や神田明神、石穴稲荷神社などの有名どころも参入している。
この「リモート参拝」は、神社仏閣の写真や動画を参拝者がパソコンやスマホで見られるようにし、ご祈祷や参拝を遠隔で行うというものだ。お賽銭やおみくじなどはQRコードでのスマホ決済、お守りや御朱印、写経はホームページから注文できるところもある。
「コロナや人混みを気にしないで参拝ができる」「家にいながら参拝ができるから便利」と、参拝者の間では好意的な意見が多いが、この試みは運営する側にとっても参拝者側にとっても、まだ手探り状態だ。
オンライン祈祷は申し込みゼロ
「私どもの神社では20年6月よりオンラインのご祈祷を受け付けたのですが、申し込み件数はゼロでした。やはり、オンラインでの祈祷などあり得ないと考えている方が圧倒的に多いのだと思います。こちらとしては、残念な気持ちもあり、うれしさもあり、という複雑な心境ですね」
そう話すのは、福島県の隠津島神社の神主・安部章匡さんだ。「うれしさ」とは、どういうことなのだろうか。詳しく聞いてみた。
「オンラインではご利益を享受できないだろう、と考えている方が多かったということですね。神主としても、参拝は神様のそばまでいらしてから祈念していただきたいと考えていましたが、みなさまも同じ感覚だったのでホッとしたということです。もちろん、私どもの神社が東北地方にあり、比較的保守的な地域だということもあると思いますが……」(安部さん)
安部さんによると、神社仏閣のシステムというのは、参拝者がご利益や神様を感じられるように、先人達がいろいろと工夫して1000年以上をかけて設計されてきたものだという。鳥居をくぐり、手水舎から出ている水で口をすすぎ、掃き清められた参道や階段を渡りながら木々や自然を感じ、少しずつお堂に近づいていく……。そうした行為がすべて、神様に触れ合いに行く流れとして機能している。
これらをすべて省略して「最初からオンライン参拝でいい」ということになってしまうと、足を運んだからこそ得られる感覚が否定されてしまうのではないか。そんな懸念が、安部さんにはあるという。
「実際に、私の周りの神職の方々のほとんどは『オンライン参拝は受け入れがたい』と口にしています。神社には本宗の伊勢神宮を仰いでいる神社が約8万社あり、その各都道府県の神社を神社本庁が統括しています。その本庁も、今のところはオンライン参拝、お賽銭やご祈祷のキャッシュレス決済には否定的な見解を示しています」(同)
神社本庁がオンライン参拝に反対するのは、情緒的な問題だけではない。
「神社仏閣は宗教法人のため、税金関係で免除されている部分もあります。そのため、リモート参拝やキャッシュレス決済を推進して利益を上げることで、新たな課税対象になってしまうことを危惧しているのではないでしょうか。もし課税されたとしたら、規模が小さいお宮はひとたまりもありません。それでなくても、小さいお宮は収益なんてほぼない状態で運営しているところが多いため、ほとんどの神社が立ち行かなくなってしまいます」(同)
また、キャッシュレス決済やカード支払いに対応すると、参拝者の個人情報の管理も問題になってくるという。
そして、オンライン参拝に関する問題で大きいのが「氏子制度」だ。簡単に言うと、その神社の近辺に住む人々が「氏子」となり、お参りするときに氏神の祀られた神社に行く、という関係性を指す。
たとえば、A町に神社があり、その神社が守っているのはA町の氏神。そこにB町の人が参拝に来てしまっては、B町の神社が困るということだ。オンライン参拝は、この「ご近所にある氏神にお参りする」という概念をなくしてしまうので、神社と氏子の関係性が消失してしまいかねない。
「一般の人にしてみれば、自分の好きな神社に参拝して何が悪いんだ? という話かもしれませんが、氏神制度の概念は、もとをたどれば『敬神崇祖(けいしんすうそ)』といって、『ご先祖様にゆかりのある氏神様を大事にすればご利益が得られる』という考え方です。だからこそ、生まれた場所の近くにある神社に参拝する必要があるのです」(同)
リモートで遠くの有名な神社に参拝したところで、先祖を敬うという本来の趣旨が薄らいでしまうのだ。
時代に合わせて柔軟に形を変えてきた神社
神社にお参りすることの意味を根幹から揺るがしてしまいそうな「オンライン参拝」や「リモート祈祷」だが、現在のところ、本庁などから禁止のお達しはないという。
「神社の設備の改築や修理などは本庁に許可を取る必要がありますが、運営に関わることについてはそれぞれの神社に一任されているため、今のところは各神社の判断に委ねられています。今後は、何らかの指導はあるかもしれませんが……」(同)
ただ、コロナ禍だけでなく、人々の信仰心が変化していく現代社会では、新たな時代への対応をしていかないと、神社そのものが立ち行かなくなってしまうという危惧もある。
「私自身は、オンライン初詣も時代の流れとしてあっていいと思います。というのも、神社は本来柔軟な性質を持っていて、だからこそ1000年以上続いているわけです。私どもの隠津島神社は2021年で勧請されてより1252年が経ちますが、その間ずっと同じだったかといわれればそういうわけでもなく、最初からお宮があったわけではないし、お参りの作法も変化してきました。時代によって、国のルールも宗教法人の立ち位置も変わり、その都度、対応してきたのが神社だと思うのです」(同)
古くは富士山の見えるところに「遥拝」できる神社をつくったり、「代拝」といって代わりに参拝する人がいたり……という方法もあった。神社は厳格にしきたりを守っているようで、その時代によって形を柔軟に変えてきたのだ。
「一番大切なのは、『神様を拝みたい』『神社にお参りしたい』という人々の気持ちに応えられる神社であることではないでしょうか。私どもは、リモートで参拝したいという人がいるなら、『できない』ではなく、それに対応できるようにしたいと考えています」(同)
“ニューノーマル”の社会では、さまざまな生活様式が変化せざるを得ない。「オンライン初詣」も、そのひとつであり、今後も賛否が分かれ続けるだろう。それでも人々の祈る気持ちがある限り、神社仏閣はなくならないし、その「参拝様式」も変わり続けていくことになりそうだ。
(文=武馬怜子/清談社)