見過ごせない菅官房長官の「南スーダンは極めて安全な状況」発言…政府全体を覆う隠蔽体質を許すな
今年5月28日に放送されたNHKスペシャル『変貌するPKO 現場からの報告』では、日報に「戦闘」があったと記載された日に何があったのか、当時現場にいた自衛隊員の証言と映像、南スーダンの軍関係者、他国のPKO部隊への取材で伝えていた。
それによると、道路整備の現場に行くまでの間で、戦闘が行われているとの情報があり、隊長の判断で活動を中止。その後、政府軍と反政府軍の戦闘は、自衛隊の宿営地を挟んで行われた。宿営地から、銃弾が飛ぶ軌跡が見えた、と隊員は証言している。政府軍の戦車が反撃。これには「本当にやばいと思いました」と自衛隊員は語った。銃弾は宿営地の監視塔を直撃し、倉庫や給水塔にも貫通。隊員たちは防弾チョッキとヘルメットを着用して建物内に籠もったが、死を覚悟した者も少なくなかったようだ。ある隊員は「最後に見るのは故郷の景色でありたい」と実家の写真を取りだして見つめ、ある者は震える手で、「今日が私の命日になるかもしれない」などと手帳に家族に向けてのメッセージを書いた。
これが、「極めて安全な状況」とは……。
外務省は、昨年7月11日に南スーダンの首都ジュバの海外安全情報(危険情報)を「レベル3(渡航中止勧告)」から「レベル4(避難勧告)」に引き揚げている。地図ではこの国全土が、最高の危険度を示す真っ赤に塗られている。
いったいどこが「極めて安全」なのか?
政府は国民に現実を語れ
日報の隠蔽を巡っては、特別防衛監察の結果公表の前に、陸自サイドの主張に沿うような情報が漏れたことなどが、シビリアン・コントロール(文民統制)の点で懸念すべきとの指摘もある。そうなったのは、一人稲田氏だけの問題ではなく、今回の菅発言のように、政府の国民に対する発信が、現場の状況とあまりにもかけ離れているために、現場の自衛隊員の不信を招いたせいではないのか。
日本で国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)が成立したのは1992年。この時に「紛争当事者の間で停戦合意が成立していること」「中立的立場を厳守すること」などの5原則が定められた。
外務省のホームページでは、憲法との関連について、こう書かれている。
「我が国が国連PKOに参加する場合においては、武器使用は要員の生命等の防護のための必要最小限のものに限られています。また停戦合意が破れた場合には我が国部隊は業務を中断、撤収することができる等のいわゆる参加5原則という前提を設けており、我が国が憲法で禁じた武力行使を行うことはなく、憲法に反するものではありません」
しかし、PKO法ができた当時と、PKOの姿は大きく変わっている。1994年にルワンダで、当事者間の停戦合意が失われたためにPKO部隊が撤退した後、多くの人々が虐殺されたことが批判され、以後住民保護がPKOの任務となってからだ。さらに1999年には、コフィ・アナン事務総長が、国連自体が紛争当事者になることを前提にした告示を発表。これによりPKO部隊は、中立の立場を捨て、紛争当事者となっても住民保護をしなければならないことになった。