2018年に滋賀県内で起きた長女による実母殺害・死体遺棄事件。今年1月、桐生のぞみ被告に懲役10年の控訴審判決が言い渡され刑が確定したが、裁判の過程では、のぞみ被告が母親から教育虐待を受けていた事実が明らかになり、人々の関心を呼んでいる。
3月15日付「47NEWS」配信記事『医学部受験で9年浪人 “教育虐待”の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態』によれば、のぞみ被告は母親から地元の国公立大医学部医学科に入学することを強く求められ、14年に国立大学医学部看護学科に合格するまで、9年間にわたる浪人生活を余儀なくされ、その間、母親から携帯電話を取り上げられるなどして過度の束縛を受けていたという。
そして17年には医科大学付属病院から看護師として就職内定を得たものの、母親はのぞみ被告に対し、就職を辞退して助産師学校に進学するよう要求。のぞみ被告は看護師になるという意思を伝えたが、母親はそれを認めず夜通しで叱責し、ついにのぞみ被告は犯行におよんだという(同「47NEWS」記事より)。
医学部6年生が卒業前に受験する医師国家試験の合格率(2020年・新卒者)は94.4%であり、医学部入学者の多くは将来医師になるため、医学部は難関であることが知られている。また、私立大学の医学部場合、6年間でかかる総費用は入学金・授業料などで総額平均3000万円超えとされ、2008年に大幅な授業料値下げを行った順天堂大学も2080万円(河合塾のHPより)となっている。一方、国公立大学は6年間で総額350万円前後と私立に比べて大幅に下がるが、学費の低さから実質的な競争率も高くなる傾向があり、加えて、一般的に入試科目が5科目と私立(3科目)より多く、難易度は高いとされる。
そんな国公立大学医学部への入学を母親から求められたのぞみ被告は、9年にわたる浪人生活を強いられたわけだが、大手予備校関係者はいう。
「以前よりは少なくなりましたが、どこの大手予備校にも、医学部合格を目指して何年も在籍している浪人生や、毎年のように予備校を変えて通っている浪人生の姿が見られますが、なかには医学部合格へのモチベーションが低下したものの諦めきれずに惰性で浪人を続けているように見受けられるケースも散見されます。
とにかく医学部は難関で、医師という職業への就職に直結する色合いも強いこともあり、他の学部に比べて特殊だと考えるべきです。そのため、何年も浪人を重ねて勉強したからといって合格が近づく保証はないというのが現実です。また、数年前に医学部入試で一部の大学が女子学生や多浪生を“受かりにくくする”よう採点を操作していたことが表面化しましたが、現在も同じようなことが“まったく行われていない”という保証はどこにもなく、一部の医学部で不公平な選抜が行われている可能性もある。
そうした状況を踏まえると、10~20代の貴重な時期を、医学部を目指して何年も浪人を重ねることに費やすことには賛成できません。実際に、現役や1浪で医学部に落ちた学生が看護学部や理工系学部に志望を変えて、翌年にはちゃんと合格していく事例はごまんとあります。そもそも医師に限らず、第一志望の職業に就ける人などほんの一握りなのですから、受験生も保護者も、広い視点といい意味での諦めを持つことが大切だと感じます」
では、なぜ、母親はのぞみ被告を医学部へ入学させることに執拗なまでにこだわり、その結果、悲惨な事件が起きるまでに至ったのだろうか。『子どもを攻撃せずにはいられない親』(PHP新書)の著者で精神科医の片田珠美氏に解説してもらった。
片田医師の解説
なぜ母親は娘に対して監禁まがいのことまでして、医学部入学にこだわったのでしょうか。
まず、支配欲求が非常に強いことが挙げられます。一人娘のうえ、夫とは娘が小学校高学年の頃からずっと別居していて、「長年にわたり母子だけの閉鎖的な環境」だったようなので、母親の関心がすべて娘に注がれ、それに支配欲求が加わったように見えます。
支配欲求に拍車をかけるのが「子どもに投資している」という意識です。母親は娘に幼い頃から通信教材を買い与えていたようですので、子どもにお金をかけてきたと思っていたはずです。そう思っている親ほど、「あれだけ時間とお金をかけて育ててきた子どもなのだから、多少は思い通りに支配させてもらってもバチは当たらないだろう」と自らの支配欲求を正当化しやすいのです。
それでは、なぜ支配欲求を抱くのでしょうか。多くの場合、利得と自己愛がからんでいます。利得はわかりやすいですよね。母親の希望通り娘が医師になれば、高収入を得られる可能性が高いですから。
より厄介なのは、親の自己愛、とくに傷ついた自己愛です。娘は、「47NEWS」記事の取材に対し「母は工業高校を卒業したそうです。最終学歴が高卒であることを悔やんでいると何百回も聞かされました。学歴コンプレックスがあったのだと思います」と話していますが、このように何らかのコンプレックスを抱いている親ほど、子どもに代理戦争を戦わせ、敗者復活をめざそうとします。平たくいえば、自分の果たせなかった夢を子どもに託すわけです。ですから、親の期待というのは、実は親の自己愛、とくに傷ついた自己愛の投影にほかなりません。
しかも、支配欲求の強い親は、往々にして所有意識と特権意識も強いのです。子どもを自分の所有物とみなしているからこそ、自分の好きなように扱ってもいいと思い込み、殺害された母親のように娘を医師にしたいという自身の欲望を押しつけ、9年間も浪人させるわけです。
また、「自分は親なのだから、少々のことは許される」という特権意識を抱いていることも少なくありません。こういう親は、子どもは「自分をよく見せるための付属物」という認識を抱いていることが多く、世間体や見栄のために子どもを自分の思い通りに支配しようとします。
娘は、現役で国立大の医学部保健学科を受験し、不合格だったにもかかわらず、母親は親族には「合格した」と嘘をつき、娘にも従うよう求めたということです。これは、母親にとって娘が「自分をよく見せるための付属物」だったからでしょう。
それでは、なぜ娘は母親から逃げられなかったのでしょうか。まず、「血は水よりも濃い」という言葉があるように、血のつながりからはなかなか逃げられません。しかも、支配欲求の強い親ほど血のつながりを強調するのです。
また、支配欲求の強い親は、「私ではなく、あなたのためを思うからこそ、~するのがいい」という言い方をします。私自身、大学進学の際、自分の希望に反して、親から医学部進学を強要されたのですが、そのときも同じようなことを言われました。おそらく、殺害された母親も、あくまでも娘のためを思って言っているというスタンスで、娘を自分の思い通りにしようとしてきたのでしょう。
さらに、殺害された母親は、娘の罪悪感をかき立てるのが巧みだったようです。娘が母親に「看護師になりたい」と本音を打ち明けたとき、母親は「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」と言ったということですが、子どもの罪悪感をかき立てることによって、子どもを支配しようとする親は少なくありません。そういう親の決まり文句は「あなたのために、いろいろなことを犠牲にしてきた」という言葉ですが、殺害された母親も同じようなことを言っていたのではないでしょうか。
こういう親を変えるのは無理なので、逃げるしかないのです。娘は3回にわたり家出をしたものの、結局連れ戻されたということなので、「逃げても、どうせ連れ戻される」と逃亡をあきらめてしまったのかもしれません。家族以外の人に相談して、その助けを借り、逃げていたら、母親殺害という最悪の結末は避けられたのではないかと思うと、本当に悔やまれます。
(文=編集部、協力=片田珠美/精神科医)