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地下鉄免許状と後藤新平から贈られた歌の掛け軸(地下鉄博物館)
その後、1934年に浅草-新橋間が開通。五島慶太が実権を握っていた東京高速鉄道の地下鉄路線が1939年に渋谷-新橋間まで延伸。相互乗り入れや経営の主導権めぐり紛糾したが、鉄道省の仲介で和解。浅草―渋谷間の直通運転が実現した。
早川は1940年、東京地下鉄道の社長に就任するが、五島との経営権をめぐる争いに敗れ、相談役に退く。早川はこのとき59歳だった。引退後は神奈川県の逗子に地下鉄職員の研修施設をつくるなど人材育成に力を注いだが1942年、61歳の生涯を閉じた。早川が心血を注いだ地下鉄事業は、1941年に設立された帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡された。
地下鉄博物館には、若き日の早川に後藤新平が贈った歌が展示されている。
「寝ざめよき事こそなさめ 世の人の よしと悪しとは 云うにまかせて」
その教えを胸に、地下鉄建設事業に邁進した早川は常日頃から「いまに東京の地下は蜘蛛の巣のように地下鉄が縦横に走る時代が必ず来る」と口癖のように言っていたという。
地下鉄博物館では来年1月28日まで特別展「地下鉄開通90周年展」が開催される。地下鉄の歴史に触れるとともに、早川徳次という男のロマンを感じ取ってみてはいかがだろうか。
(文=山田稔/ジャーナリスト)
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