自民党幹事長代行の野田聖子氏の夫、文信氏の過去の経歴をめぐってインターネット上がざわついている。「デイリー新潮」(新潮社)が12日、記事『野田聖子の夫は「元暴力団員」と裁判所が認定 約10年間組員として活動』を公開したことが発端だ。同日午前、「野田聖子」「元暴力団員」がTwitterでトレンド入りした。
文信氏は、「週刊新潮」(2018年8月2日号)に掲載された記事『「女性総理」の夢を壊した「野田聖子」総務相の「元反社夫」』で名誉を棄損されたとして、新潮社に対し1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に訴えていた。
今回のデイリー新潮記事では今年4月21日に「原告の請求棄却」との判決が出たことを伝え、<原告が指定暴力団・会津小鉄会の昌山(まさやま)組に所属していた元暴力団員であるとの事実の重要な部分は、真実であると認められる>との判決文の内容を引用した。
同記事では訴訟の経緯を次のように説明する。
「ことの発端は、18年7月にまで遡る。当時の安倍政権で総務大臣を務めていた野田氏の秘書が、文信氏と懇意にしていた仮想通貨事業者を同席させ、金融庁の担当者を事務所に呼びつけ“圧力”をかけたのではないかとの疑惑を朝日新聞(7月19日付)が報じたのだ。
釈明に追われた野田氏は、“金融庁に一般的な説明をしてもらっただけ”“圧力ではない”と弁明。この出来事を、本誌は前述の特集記事として報じた。“金融庁への圧力”の背景には文信氏の存在があると指摘し、暴力団に所属する構成員であったという経歴を明かした。この記事が“事実無根”だとして文信氏は提訴に踏み切ったのである」(原文ママ)
訴訟では、新潮社側は暴力団「昌山組」の元組長に陳述書の作成と証人として出廷することを要請。“盃を交わした親子”の法廷での再会が勝訴判決の決め手になったとしている。そのうえで、この勝訴をどこの大手メディアも報じないことに対して、次のように苦言を呈した。
「ちなみに、本誌と『週刊文春』が共に文信氏から訴えられた際に、大手新聞社が〈野田総務相の夫が文春と新潮提訴〉と報じたが、それから2年経って本誌が事実上の“勝訴”となったことを報じた社は皆無……」
大手メディアはなぜ報じないのか?
新潮の報道に関し、全国紙社会部記者は次のように話す。
「だって、暴力団員といっても『元』でしょう? 一般論として、新聞紙面上で被疑者の前科をことさらに強調して記事を書くことは禁じられていますし、それと同じようなことです。元暴力団構成員の社会復帰が難航していることは社会の大きな課題です。元職だと騒ぎ立てるのは、それを妨害する行為にあたります。今回の件で言えば、金融庁への“圧力”と文信氏の『元暴力団員の肩書』に関係があるのなら別ですが」
2010年以降、全国の自治体で暴力団排除条例が制定されて以降、既存の暴力団の資金獲得手段が厳しく制約された結果、多くの離脱者が出た。ところが、「離脱者の社会参入のハードルが高すぎる」との指摘がマスコミから相次いでいる。同条例の「元暴5年条項」で、暴力団離脱後も5年間は構成員と同様、銀行口座の開設、自分名義で家を借りることができないケースが続出しているのだという。
こうした法律面での社会権の制限だけでなく、離脱元の組織の関係者から継続的に嫌がらせを受けたり、就職などで差別を受けたりする事例なども盛んに報じられている。総じて、メディアの論調は「罪を憎んで人を憎まず」というスタンスをとっているようだ。
離脱者が過酷な状況に置かれる背景とは
実際、“元”暴力団構成員を取り巻く状況はどうなのか。最近のメディアの報道も踏まえ、刑事部組織犯罪対策本部や所轄署の暴力団担当を務めた元神奈川県警の捜査員は語る。
「確かに堅気になろうと頑張っている離脱者はみんな苦労していますよ。店を出そうとしたら足抜けした組の連中が来て嫌がらせをされたり、金をたかられたりするのはよくあることだし、就職とかで差別されることもしょっちゅうです。デカ(刑事)にうろうろされたら、それこそ社会復帰の妨げになるだろうから、定期的に電話で相談に乗ったり、(離脱者の)店を知人に紹介したりしてほそぼそと支援しています。それでも結局、反グレになってまた逮捕される奴は後を絶たないですね。
暴排条例は離脱者にとって厳しいものだと思います。とはいえ、“組を抜けたから今までのことを全部なかったことにしてくれ”とならないのには理由があります。
表向き組を抜けた風を装って、フロント企業を作って元の組に上納を続けたり、昔のツテをフル活用して、強請りやたかりで莫大な利益を上げたりする奴がいるからです。だから『元暴5年条項』のようなものがある。堅気として頑張っている人間と、規制逃れをしてアウトローの世界でのし上がり続けようとする人間の線引きは極めて難しい。
“盃”を交わして指定暴力団の正規構成員になるということは、それだけ重いことです。
補導する若いチンピラに昔から言い聞かせていますが、組の正規構成員になるということは、上の指示か、自分で決めたのかは関係なくなんらかの被害者が出るようなシノギに関わることつながるのです。
シャブ(覚せい剤)や殺し(殺人)、タタキ(強盗)、突っ込み(女性暴行)などマエ(前科)が付くような重犯罪はもちろん、娘を風俗に沈められた親御さんや、借金の追い込みをかけられて首を吊った経営者の家族にしてみれば、組を抜けたからといって『じゃあ、これからは堅気としてがんばってください』とはなりませんよね。
法律的には、離脱届を出し、刑務所に行って罪を償えば一事不再理で“晴れて再出発”でしょうが、被害者感情は往々にしてそうではない。指定暴力団の正規構成員になるということは、誰かに一生恨まれても仕方がない重荷を背負うことと同じでしょう。ただそれは被害者と加害者の間の心情の問題です。前科や元職をあげつらって、マスコミや世間が差別を助長したり、リンチしたりしていいということではないと思います。
若者が暴力団構成員になる理由として、“家庭環境や経済状態が悪かった”という事例もあるでしょう。ただ同じような境遇でも、“盃”を交わしたり、犯罪に走ったりしないで地味でもコツコツと金を稼いで人生を送っている人間はたくさんいますよね。
あくまで個人的な見解ですが、市井の人のささやかな暮らしを『地味でパッとしない』と馬鹿にして、暴力でのし上がろうとした人間が方々に迷惑をかけた挙句、社会に戻って“もっと優しくしろ”というのは筋が通らない。失敗してもやり直せる社会であるべきだと思いますが、刑務所や更生施設の不備などから元暴力団員や犯罪加害者が反省もなく簡単に社会復帰できてしまうことは避けるべきでしょう。今は、“世間様の逆風は、盃交わして腹を括った時に覚悟したんじゃねぇのか!泣き言を並べる暇があったら、前を向いてしっかり生きろ”と応援するしかありません」
(文=編集部)