世界の新型コロナウイルスへの対応を検証する独立調査委員会は5月12日、最終報告書を公表した。この委員会は世界保健機関(WHO)の194の加盟国の決議で設立されたものであり、議長はクラーク前ニュージーランド首相などが務めている。報告書は5月24日から始まるWHOの年次総会の討議資料となる。
公表された報告書のタイトルは「新型肺炎:最後のパンデミックにしよう」であるが、その結論は「危険の兆候に注意を払っていれば、パンデミックによるここまでの大惨事は防げたはずだ」というものである。2019年12月に中国・武漢市で感染拡大が最初に確認された際の初期対応については「切迫感が欠如していた」と指摘、また各国が警告に十分な注意を払わなかったために20年2月は手痛い「失われた月」になったとの見方を示した。パンデミック再発防止のために「WHOをはじめ各国の指導者は大々的な改革を模索する必要がある」と強調しており、改革の柱は以下の通りである。
(1)ワクチンを公共財に位置づけ、迅速に開発できるようにする。
(2)各国に責任を負わせる権限を持つ、世界的な脅威に関する評議会を創設し、関係国の承認なしに情報を公開できる疾病監視システムを構築する。
まず(1)についてだが、主要7カ国(G7)の今年の議長国である英国政府は4月30日、「ワクチン研究開発に向けた資金を集めるため、22年にサミット(首脳会談)を開催する」と表明した。今後のパンデミックに備えてワクチン生産のスピードアップを目指す国際団体を支援する。支援するのは「感染症流行対策イノベーション連合(CEPI)」である。CEPIは、日本、ドイツ、ノルウェーのほか、米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が設立した財団などの出資で17年に発足した。
CEPIは3月10日、「次のパンデミックに備えて100日以内にワクチンを開発できるようにするためには、メッセンジャーRNAなどの最新の技術開発を迅速化するとともに、承認の円滑化に向けた世界の医薬品当局の製造加速化の連携も欠かせない」との考えを示し、総額35億ドルの5カ年戦略への資金提供を呼び掛けていた。
英国政府の官民連携による構想には、英アストラゼネカや米ファイザーなどワクチンの製造を手掛ける企業の幹部や科学者らが参加するようだが、ロシアや中国の専門家などが参加するかどうかはわからない。ワクチンの特許権放棄を表明したバイデン米政権は、米国のバイオ技術が中国やロシアに流出しないよう対応策を検討している(5月8日付ロイター)ことなどから、世界が一丸となった協力体制が構築できない可能性がある。
米国立衛生研究所の一部資金が武漢ウイルス研究所に
問題がより深刻なのは(2)のほうである。
WHOは3月末の最終報告書で「新型コロナウイルスが武漢ウイルス研究所から流出した可能性は低い」と結論付けたが、独立調査委員会の米国の専門家(国内・国際保健法)は責任の所在を明確にしていない。「中国政府による武漢市での疾病発生の報告が大幅に遅れ、WHOによるウイルス起源の調査を阻害したにもかかわらず、独立調査委員会は中国政府の責任を問わなかった」と批判した(5月12日付ロイター)。
米国政府関係者の間では「武漢ウイルス研究所からの流出説」が以前から根強いが、国務省は4月15日に公開した武器コンプライアンスに関する報告書で「中国当局は生物兵器禁止条約(1975年に発効)に違反してウイルスなどの軍事的応用に関する活動を行っている」と記載した。この点について17年から中国と協議を行っていたが、「中国当局は昨年、国務省武器管理規制担当者とのオンライン会議を拒否した」という。
米国務省が中国と協議していた背景が徐々に明らかになりつつある。英紙デイリー・メールは9日、「米国務省が対外秘としている報告書のなかには『武漢ウイルス研究所の研究員を含む中国の科学者は、2015年からコロナウイルスの軍事的可能性に関する研究を開始した』と記載されている」と報じた。
豪紙オーストラリアンも前日の8日、米国務省が昨年入手した15年に人民解放軍の科学者らが作成したとされる文書の内容を報じたが、その内容は驚くべきものである。その文書には「生物兵器を使用して最大の被害を引き起こす理想的な条件」が縷々説明されており、その目的は「このような攻撃で病院での治療を必要とする患者を急増させ、敵の医療体系を崩壊する」ことである。まさに新型コロナウイルスのパンデミックにより西側諸国で起きた惨事を彷彿とさせるものだが、文書の執筆者には「第1次世界大戦は化学戦争、第2次世界大戦は核戦争なら、第3次世界大戦は明らかにバイオ戦争となる」とする恐ろしい戦略的認識がある。
米国側が武漢ウイルス研究所からの流出説にこだわるのは、同研究所で行われてきたコウモリのコロナウイルスを遺伝子的に改変するためのプロジェクトに対して、米国立衛生研究所の連邦助成金60万ドルの一部が充てられていたという「不都合な真実」も関係している可能性が高い。
米国の情報機関はパンデミックが武漢ウイルス研究所からの流出により引き起こされた可能性があるとしつつも、意図的に流出させたことを示す証拠はないとしているが、18年に同研究所を訪問した米国大使館の外交官が「研究所の安全運営に問題がある。コウモリのコロナウイルス研究はSARSのようなパンデミックを引き起こすリスクがある」と警告していたことが明るみになっている。
このようにパンデミックに関する責任論をめぐり米中の対立が激化している状況下では、次のパンデミックを未然に防止できるWHO改革は不可能だといわざるを得ないだろう。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)