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江川紹子の「事件ウオッチ」第178回

【江川紹子の懸念】国民に犠牲を強いる“五輪至上主義”と、不安に答えようとしない菅首相

文=江川紹子/ジャーナリスト
【江川紹子の懸念】国民に犠牲を強いる“五輪至上主義”と、不安に答えようとしない菅首相の画像1
東京五輪開催に関して、強硬姿勢を示し続けているIOCのバッハ会長(Du Xiaoyi-Pool/Getty Images)

 なんとも恐ろしい話ではないか。

 国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ副会長が記者会見で、緊急事態宣言のさなかでも、東京オリンピック・パラリンピックは開催するかと問われ「答えは『イエス』だ」と断言。日本の世論の大半が今夏の五輪開催に反対しているが、コーツ氏は「もし(世論が)改善しないとしても、我々は我々の仕事をするだけだ」と言い切った。

日本に暮らす人々の健康を省みないIOC幹部らの“暴論”、それに唯々諾々と従う日本政府

 さらにトーマス・バッハIOC会長は、国際ホッケー連盟のオンライン総会で、「最後のカウントダウンが始まった」とし、東京大会の開催を宣言。「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」と述べた。

 なぜ日本の人々が、IOCや一部のアスリートの夢の犠牲にならなければならないのか!? これまでも私たちは、多額の税金投入という犠牲は十分払ってきた。だがコロナ禍の今、犠牲が命や健康にまで及ぶおそれを多くの人が感じている。

 そんななかでのIOCトップらの発言は、まさに五輪至上主義ここに極まれり。開催地で暮らす人々の命や健康に対する不安を、まったく省みない暴論といえよう。

 バッハ会長は今月19日から行われた東京オリパラ調整委員会に出席するはずだったが、緊急事態宣言下の来日を回避。オンライン参加し、挨拶でこんな風に日本人を持ち上げていた。

「大会が可能になるのは日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力を持っているから」

 欧米各国であれば、暴動でも起きかねない状況だろう。それでも、日本の人々は「堅忍持久」「耐え難きを耐え」の犠牲的精神で対応してくれて、自分たちにとってはなんとも都合がよく、ありがたい、ということだろう。

 なめられたものである。そうしたIOC幹部の発言に、大会組織委や日本政府はなんの異も唱えず、唯々諾々と開会準備にいそしんでいる。民意よりもIOCを優先する日本政府のありさまは、まるで終戦直後のGHQ支配下の時代に戻ったかのようである。

 直近の調整委員会では、選手1万5000人のほか、7万8000人の関係者が世界中から来日予定であることが明らかになった。前回の本欄でも指摘したように、選手村に隔離される選手たち以上に、後者の関係者が市中に感染を広げるリスクが懸念される。海外から入国する関係者が18万人にのぼるという当初の想定よりだいぶ絞り込まれたとはいえ、7万8000人という数は相当に多い。

 出入国管理統計(速報値)によると、今年4月に日本に入国した外国人の数は1万7557人。これに帰国する邦人が加わり、今でも水際対策に苦慮している状況だ。東京や大阪では、海外渡航経験のない人が、インドで流行している変異株に感染している事例も出ている。検疫をすり抜けた人から、市中感染が始まっている可能性がある。

 五輪を強行すれば、4月の来日外国人の4倍以上に及ぶ人たちが、現在変異株が流行している国々を含めて世界中からやってくる。出国前に検査を行い、陰性証明書の提出を求めるとはいえ、直前に感染した場合は検査をすり抜けてしまう可能性は否定できない。また、その時点でどれだけの人たちがワクチンを接種済みかも不明だ。

五輪開催時の医療負担の検証をという国民の希望に、トンチンカンな答えしか返さない菅首相

 大会関係者の行動ルールによれば、来日外国人も入国から3日間のホテル待機をすれば、専用車で移動して競技会場などで活動可能だ。さらに、14日間過ぎれば公共交通機関の使用も可能になる。

 そうなると、たとえば報道陣の場合、(1)3日待機を明けたばかりの外国人、(2)来日14日間を過ぎた外国人、(3)五輪前から日本で生活している外国メディアの記者やスタッフ、(4)さらに日本メディアの記者やスタッフが、競技会場やプレスセンターの同じ空間で混在することになる。(2)のなかにはワクチン接種済みの人もいるだろうが、(3)と(4)のほとんどは接種しておらず、日本の一般人たちと接触しながら生活をしている。ここから感染が広がるリスクに、政府はどう対処しようとしているのだろうか。

 審判、その他大会関係者も同じような状況ではないか。競技場のなかには、清掃や警備など、さまざまな仕事をする日本の人たちもいるだろう。

 行動ルールはあくまでも性善説に立って作られたもので、どの程度の実効性があるかは、世界中からやってくる人たち1人ひとりにゆだねられることになる。海外プレスが14日間が過ぎるまで、街中の取材をしない保証はなく、これだけの数の人を監視するのも非現実的だ。それに、報道の自由がない独裁国家のように、当局が海外メディアの行動を逐一監視するのは、日本の国柄にも馴染まない。

 医療への負荷も気がかりだ。

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、五輪開催によって地域医療にどのような負荷が生じるかを検証・評価することの必要性を訴え、それは「開催する者の責任」と述べている。

 しかし、これに対する政府の対応がはっきりしない。前回(5月14日)の記者会見で、私はこれについて菅義偉首相に尋ねた。ところが、意図的なのか質問を誤解したのかはわからないが、「(関係者の)行動指針を決める際に、専門家の方からも2人メンバーになっていただいて、相談しながら決めさせていただきます」と、まったくトンチンカンな答えしか返ってこなかった。

 IOCに追随するだけで、国民の不安に答えようとしない菅首相ら政府関係者は、五輪の話が出るたびに「安全安心」の呪文を繰り返す。しかし、今の政府には「安全」も「安心」も語る資格はない。

「安全安心」を押しつけられ、「犠牲」を強いられる国民

 国際基本安全規格 (ISO/IEC GUIDE)によれば、「安全」とは「許容できないリスクがないこと」だ。いい換えれば、社会が許容できる範囲にリスクが収まっている状況、だろう。「絶対安全」を求めるのは現実的でない以上、リスクとベネフィットを勘案し、許容できるラインを基準として、その範囲であれば「安全」とみなす、ということだ。

 しかし日本政府も大会組織委も、何をもって「安全」とみなすのか、その基準をなんら示そうとしない。政府には「安全」を語る資格がないというのは、そのためである。

 基準が示され、そこに到達しなければ中止になる、とわかれば、まだ人々の「安心」につながる。それもないのでは、何を拠り所に「安心」を得たらいいのだろう。

 そもそも「安心」は、個人の主観によるところが大きく、政府が勝手に決められるものではない。かつて政府が設置した「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」が、2004年の報告書で「安心」についてこう書いている。

〈人々の安心を得るための前提として、安全の確保に関わる組織と人々の間に信頼を醸成することが必要である。互いの信頼がなければ、安全を確保し、さらにそのことをいくら伝えたとしても相手が安心することは困難だからである。よって、安心とは、安全・安心に関係する者の間で、社会的に合意されるレベルの安全を確保しつつ、信頼が築かれる状態である〉

 五輪開催がもたらすリスクが「社会的に合意されるレベル」なのかどうかもわからない状況では、「安全の確保に関わる組織(IOC、組織委、日本政府)」と「人々」との間で信頼が築かれようがない。

 直近の世論調査(毎日新聞が実施)では、菅内閣の支持率は31%、不支持率は59%だ。信頼していない政府から「安全安心」を押しつけられ、多くの人々が、「不安」というストレスのなかでこの夏を過ごすという犠牲を強いられている。

 政府はせめて、専門家が求めている、五輪開催に伴う地域医療の負荷を丁寧に検証・評価し、その根拠と共に公表すべきだ。これは、多くの反対を押し切り、リスクのあるイベントを開く者の、最低限の義務といえよう。

 最後に、選手たちのワクチン接種について付言しておく。

 選手にはワクチンが提供されているが、副反応への不安など、自身の体調を考えて接種しないのは自由であるべきだ。

 ただ、「まだ高齢者も終わっていないのに」と、国民への配慮から辞退する選手がいる、と報じられているのは気がかりだ。

 前述のように、五輪開催のリスクは決して小さくはなく、私は開催に反対だ。だが、強行される事態を考えれば、リスクを少しでも減らすことに、あらゆる関係者は努めてほしい、とも思う。

 ワクチンを接種すれば、当該選手が大会中に感染するリスクを減らすだけでなく、チームや家族などを感染させ、ウイルスを市中に広げるリスクも減らすことができる。接種を辞退しても、その分のワクチンが、他の日本国民に回るわけでもない。接種自体に抵抗のない選手には、ワクチンは自分を守るだけでなく、自身が媒介となって社会に感染を広げるリスクを低減させる、と考えて接種してもらいたい。

 ただ、繰り返すが、接種はあくまで任意だ。チームのため、国のためにそれを強いるようなことがあってはならない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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