伝説のラビリンス(地下迷宮)は実在した?
エジプトのどこかに地下迷宮(ラビリンス)が眠っている。そのように考える研究者は決して少なくない。なぜなら、その地下迷宮は紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトス、紀元前1世紀(古代ローマ時代)のギリシャの地理学者・歴史家・哲学者ストラボン、紀元前1世紀のギリシャの歴史家ディオドロス・シクロス、1世紀(古代ローマ)の博物学者・政治家・軍人ガイウス・プリニウス・セクンドゥスらによって言及されてきたからである。
古代ギリシャ人がラビリンスと呼んだその地下迷宮には、それを建設した12人の王たちと神聖なワニたちの集合墓地のほか、寺院や秘密の部屋・通路があり、実際にヘロドトスが訪問した際には、建設されてから1300年が経過していたという。場所はカイロの南約90キロのハワーラにあったとされる。
ヘロドトスは著作『歴史』においてラビリンスについて次のように記している。
「ラビリンスには屋根のある中庭が12あり、6つは北向きに、6つは南向きに一列に並んでいて、それぞれの門は互いに正確に向き合っていた。内部は、二階層となっていて、3000の部屋があり、半分は地下に、残りの半分は地上にあった。私は上層階の部屋々々に通されたので、それらに対する言及は私自身の観察に基づいている。但し、地下の部屋々々について言えることは限られている。というのも、それらにはラビリンスを建造した王たちや神聖なワニたちの墓も含まれており、担当のエジプト人たちは私にそれらを見せなかったからである。
一方、上層の部屋々々に関しては、私は実際に目にしたが、それらは人の手によって作られたものだとは信じがたいものだった。私たちは中庭から部屋々々へ、部屋々々から回廊へ、回廊からさらなる部屋々々へ、そしてそこからさらなる回廊へと抜けて行ったが、部屋と部屋、中庭と中庭を結ぶ、当惑させるような入り組んだ通路に対して私はずっと驚きっぱなしであった。
各部屋、中庭、回廊の天井は壁同様に石でできていた。壁には彫刻が施されていた。それぞれの中庭はとても美しい白い大理石で作られていて、列柱で囲まれていた」
ラビリンスは発見されていた?
このラビリンスは、具体的にハワーラのどこにあったのだろうか? ヘロドトスはラビリンスの角にピラミッドがあったと記していた。そのピラミッドとは古代エジプト第12王朝の第6代ファラオのアメンエムハト3世がつくったハワーラ・ピラミッドである。これは大きなヒントになった。
1888年、イギリスのエジプト学者フリンダーズ・ピートリー(1853-1942)はラビリンスと思われる構造物の基礎が残されていたことを発見した。そのサイズはおよそ304×244メートルという巨大なものだった。
発掘調査は進まずにきたが、2008年になり、そんなエリアの地下をベルギーとエジプトの研究者からなるマタハ遠征隊がスキャニング探査を行った。すると、ハワーラ・ピラミッドの南側の地下数メートルより深いところで、平均数メートル厚の垂直な壁がたくさんの密室を形成するように連結していたのが発見されたのである。ある場所では150× 100メートル、その向かい側では80×100メートルのサイズだった。
これにより、全体のサイズと形状に関してはさらなる調査が求められるものの、実際に大規模なラビリンスが今なお地下に存在していることが示されたといえるだろう。
この驚くべき発見は2008年秋に科学誌「NRIAG」で報告され、ベルギーのゲント大学では調査結果を報告する公開講演が行われた。だが、そのニュースはすぐに世界中に配信されることはなかった。
というのも、まもなくしてエジプト文化省の考古最高評議会は、国家安全保障上の対応として、その結果公表を差し控えるよう研究チームに求めてきたからであ る。その後、彼らは同評議会の長を務めるザヒ・ハワス博士に辛抱強く発見の公表許可を求め、待ち続けてきたが、それが実現することはなかった。また、それ以後、ラビリンスに関する追加調査も許可されていない。
そこで、やむなく彼らはウェブサイト「エジプトのラビリンス(Labyrinth of Egypt)」を立ち上げ、自分たちの発見を掲載することにしたのである。明らかに、ラビリンスに関する発見が外部の人間に知られることをエジプト当局は嫌っていた。まるでヘロドトスがラビリンスの地下階層に立ち入ることが許されなかったように、現在のエジプト当局も外国人によるアプローチに神経質になっているのだ。エジプト当局は何か我々の知らない秘密を隠し持っていて、ラビリンスの発見がそれとつながることを恐れているのだろうか?
ギザの大スフィンクスの地下に秘密の地下空間がある?
そう思わせる別の対象として、ギザの大スフィンクスがある。大スフィンクスは、石のブロックを積み上げて成形されている部分もあるが、基本、自然の起伏を利用して、石灰岩の一枚岩を削ってつくられている。だが、奇しくも頭部だけは色味も材質も異なることが見て取れ、あとから据え付けられたと考えられている。実際、胴体のほうが風化による損傷が激しい一方、頭部は比較的保存状態が良く、硬く丈夫な石灰岩からなると思われるが、未知の素材からなるとの異説もある。頭部と胴体のバランスが不釣り合いであることから、かつて存在した頭部が削られて異なるものに変えられた可能性がある。また、なんらかの理由で破壊されたために、頭部を構成する岩石だけ別の土地から運ばれ、当初と異なるものにすげ替えられた可能性もあるかもしれない。
さて、そんな謎めいたスフィンクスの内部や地下には、秘密の空間があるのではないかと多くの研究者たちによって指摘されてきた。実際、スフィンクスの前足前方の地下には空洞が存在するという調査結果がある。そして、近年では秘密の地下空間はもっと深いところで大規模に広がっており、ラビリンスを超える地下施設が都市のごとく存在しているのではないかと注目されつつある。
その可能性に火を点けたのは、歴史家のマルコム・ハットン氏とゲリー・キャノン氏である。2人が注目したのは、実際に存在する出入り口や坑道である。ほとんど知られていないことだが、たとえばスフィンクスの頭頂部には穴が開いており、現在では大きな楕円形の金属板で蓋がされている。また、腰に近い背中の部分にも、やや小さな四角い金属の蓋が存在する。もちろん、その下には垂直に立坑が伸びており、途中から斜め下向き(又は横向き)に坑道が続いていると考えられている。また、石のブロックが積まれてつくられたスフィンクスの尾の近くにも穴があり、そこからも内部へと入り込める。
さらに、スフィンクスとカフラー王のピラミッドの中間地点の地下29メートルの場所には、特別な空間があり、地下水で満たされた穴の中に石棺が存在する。オシリスのものともみなされるその石棺の周囲四隅には、彫刻が施された石柱が立ち、その外側には四角い堀のように地下水が取り囲んでいるのである(発見当時は完全に水没していた)。
このような情報は、実は、かつてテレビの取材に答えるかたちでザヒ・ハワス博士自身が内部の情報を映像とともにいくらか明らかにしていたものである。だが、ここ十数年ほどは、スフィンクスの地下にトンネルなどの地下空間は存在しないと繰り返し否定している。明らかに、ある時期からそれは秘密にされ、情報公開は制限されるようになったのである。
その理由はなんなのだろうか? あくまでも憶測にすぎないが、1990年代にスフィンクスの地下トンネルの発掘調査が進み、その結果、何か大きな発見がなされたのかもしれない。たとえば、これまでエジプト人学者が信じてきた歴史、宗教、世界観などに大転換を迫るようなものが地下施設内で発見されていたとしたらどうだろう。
もちろん、それは調べようもないが、古代エジプト文明の謎を紐解く学問的な進展の鍵は、残念ながら発掘に要する時間や技術的な障害といった実務面にあるのではなく、調査や公表に許可を与えるエジプト当局者の判断に多くを依存していそうである。
自分の土地に大勢の外国人研究者がやってきては、考古学的な発見・成果を次々と発表していくのをはたから見れば、決して地主は心地よく感じないに違いない。そう考えると、世界中の研究者がエジプト当局者の顔色を伺い、彼らの一貫性のない説明に振り回され、当たり障りのない事実だけを公表していくような状況は避けられないのかもしれない。だが、それには理解しつつも、古代に築かれた人類文明の把握という大義の前では、やはり残念に感じる人々も少なからずいるのではなかろうか。
(文=水守啓/サイエンスライター)