WHO、武漢ウイルス研究所流出説の排除の圧力認める…姿勢一転、中国で再調査の方針、追及強める
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は7月15日の記者会見で「中国にパンデミック初期の情報やデータについて透明性を高め、オープンかつ協力的になるよう求める。中国の武漢ウイルス研究所から新型ウイルスが流出した説を排除できるのは十分な情報が得られた後である」と主張した。
「中国寄り」とみられていたテドロス氏が、今年3月に自らの組織が公表した中国での新型コロナウイルスの起源に関する報告書の内容(武漢ウイルス研究所からの流出の可能性は極めて低い)を否定する発言を行ったのである。
テドロス氏はさらに「私自身は免疫学者であり研究所で働いた経験があるが、研究所での事故は起こりうる。普通に起きることだ。私は事故を見たことがあるし、私自身ミスをしたことがある」と述べ、「武漢ウイルス研究所からの流出説」を早い段階から外そうとする圧力があったことも認めた。
WHOは翌16日、新型コロナウイルスの起源に関する中国での調査の第2弾を実施することを提案した。第2弾の調査では、人、野生動物、武漢の海鮮卸売市場などの調査に加え、2019年12月に人の感染が確認された地域で運営されていた武漢ウイルス研究所などの監査も実施したい考えである。
WHOは「新型コロナウイルスの起源に関する調査は科学的な探求であり、政治の影響を受けることなく実施される必要がある」と強調しているが、中国側は「第2弾の調査計画は将来の研究の基盤となるものではない」と猛反発しているとされている。
「研究所流出説」を裏づける論文相次ぐ
中国側の顔色を伺ってきたとされるWHOが、ここにきて中国の神経を逆なでするような行動に出た背景には、米国の動向が大いに関係していることだろう。トランプ前政権は「武漢ウイルス研究所からの流出説」を喧伝していたが、当時科学者たちは「トランプ支持者」と思われることを恐れて口をつぐんでいた。だがバイデン大統領が5月下旬に情報機関に対して「新型コロナウイルスの起源に関する再調査を90日以内に実施せよ」と命じると米国内の雰囲気が一変、「研究所流出説」を裏づける論文が学術誌や主要メデイアなどで伝えられるようになっている。
口火を切ったのは、英ロンドン大学のダルグリッシュ教授とノルウェーのウイルス学者のソレンセン氏である。5月下旬に「新型コロナウイルスは実験室の操作でしか得られないユニークな痕跡を発見していた」ことを明らかにした。「ウイルスのスパイクに正電荷のアミノ酸が4つ並ぶ」という自然界には存在しない配列が見つかったのだが、これにより、磁石が鉄を引きつけるようにウイルスが人の細胞に結合しやすくなっていることから、人為的に感染力を高める「機能獲得実験」が行われたのではないかという主張である。
6月6日付ウォール・ストリート・ジャーナルは「米カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立研究所は、新型コロナウイルスの起源について『中国の武漢ウイルス研究所から流出した』とする仮説は妥当だと判断し、さらなる調査が実施されるべきだと結論付けていた」と報じた。同研究所は生物学に関する専門知識が豊富なことで知られ、新型コロナウイルスのゲノム解析などを行い20年5月に報告書を作成していた。新型コロナウイルスからCGG-CGGという組み合わせの塩基配列が発見されたが、このような塩基配列は自然界では存在せず、ウイルスの感染力を高めるなどの実験を行う際に人為的に注入されることが多いとされている。
研究所からの流出に関しては、豪紙オーストラリアンは6月27日、「中国当局はかつて国連に提出した文書で『自国の研究所から人口ウイルスが漏洩するリスクがある』と認めていた」と報じたが、現在の中国の安全管理はさらに悪化している可能性が高い。
北京五輪への反発
武漢ウイルス研究所と人民解放軍の関係にも注目が集まっている。米下院の共和党議員が6月29日に開いた公聴会では、「人民解放軍が19年に武漢ウイルス研究所を接収した」などの証言が相次いだ。武漢ウイルス研究所でコウモリに由来するコロナウイルス研究を主導する石正麗氏は人民解放軍との協力関係を一貫して否定しているが、米NBCニュースは6月30日「石氏が人民解放軍の研究者とともにコロナウイルスの研究を行っていた証拠を掴んだ」と報じた。
このような状況から、過半数の米国人が「研究所流出説」を信じるようになっている。米ニュースサイト「ポリテイコ」などが6月下旬に実施した世論調査によれば、52%が「新型コロナウイルスは中国の研究所から漏洩した」と回答した。49%が「中国の研究所が新型コロナウイルスを開発した」との見方を示し、25%が「中国当局が故意に新型コロナウイルスを作り、意図的にウイルスを放出した」と回答したという。米ピュー・リサーチ・センターが昨年3月に実施した世論調査の結果(「新型コロナウイルスは中国の研究室で発生した」と回答した米国人は29%のみ)とは様変わりである。
バイデン政権の高官たちも「研究所流出説は野生動物から自然に発生した可能性と同程度である」と認識していることが明らかになっている(7月18日付CNN)。さらに米シンクタンク「セキュリティー・ポリシー・センター」が7月初めに実施した世論調査によれば、63%が「中国当局に損害賠償を請求すべきだ」と回答している。
ペンス前副大統領は14日「新型コロナウイルスの起源に関する調査に中国が全面協力しないなら、米国は22年の冬季五輪の開催地変更を明確に要求すべきだ」と主張した。中国政府が今後協力的になる可能性は極めて低いが、これにより国際的な孤立は深まり、北京五輪への反発は一層強まることだけは間違いないだろう。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)