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(「Wikipedia」より/Rs1421)
判決では、「放送法は受信設備を設置した者から一律に受信料を徴収することを認めている。契約書を交わしていなくても裁判所の判決をもって放送受信契約が成立する」としている。過去に受信契約締結を拒否してNHKに訴えられたケースは、いずれも訴えられた側が出廷していない。従って、被告がまともに争ったうえでのNHK勝訴の判断としては初のケースとなる。
かつてはNHKが国営放送だと誤解し、「税金から運営費が出ているのに、その上にさらに受信料を取るのはけしからん」などという誤解をしている人も珍しくなかった。
戦前のNHKは社団法人だったが、現在は放送法という法律に基づいて設立された特殊法人であって、公権力(政府)からも、社会的権力(企業)からも距離をとることで表現の自由を確保するために設立、放送機材や人材などを旧NHKから引き継いだ放送局である。戦時中の厳しい言論統制から解放された昭和25年5月2日に放送法は公布されており、設立の理念はけっこう高邁だ。
実際、放送法第一条には放送の目的として、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」が掲げられている。国営では公権力の批判はできないし、完全な民間放送ではスポンサーに都合の悪いことは報道できない、というわけだ。
国とも企業とも距離を置くから、どちらからも運営費はもらえない、ゆえに国民から徴収するというのが受信料を国民から徴収する理由である。国民から強制的に徴収するから、NHKの予算は国会の承認対象にもなるというわけだ。
●理念と現実のギャップ疑う国民
実際には、公権力から完全に独立しているのかどうか、つまり政治家の圧力で番組内容が変わることもあるのではないかと国民は疑っているし、民間企業との距離ですら、人気芸能人の出演を確保するために、有力な芸能プロダクションなどと癒着しているのではないかなどという疑いを持ってもいる。
まして国民から税金のように強制的に徴収した受信料で生計を営むNHK職員がハレンチな行為に及んだなどという報道があれば、公務員のハレンチ行為並みの怒りを誘う。
白状してしまうと、筆者の父親はNHK職員だったので、受信料のおかげで大学にも行けたし、食料にも特に困ることなく大人になれた。兄もNHKに就職し、同期と社内結婚した。ごく平均的な民間企業に就職した私は、就職と同時に父とも兄ともまったく話が噛み合わなくなった。とにかく父も兄も、世間知らずで浮世離れしているのだ。
特に違和感があったのは、モノやサービスを提供することで対価を得るという企業活動に対するリスペクトのなさだ。熾烈な競争に晒されている企業が、モノやサービスの提供のために大変な努力をし、結果獲得した対価が従業員への給与として支払われているからこそ、国民は生活できるし税金も払えるし、受信料も支払える。受信料の源泉は企業活動なのに、その企業活動や企業活動を末端で支える年収500万円のサラリーマンへのリスペクトが、まったく感じられないのだ。
局内の競争は厳しいが、厳しさのベクトルが向かう方向はひたすら内向き。リストラとも無縁だから、バブル崩壊後はその“距離感”は決定的なものになった。
NHKに就職できる学生は、基本的にスーパーエリートだ。優秀な学生を確保するには、それなりのサラリーを支払わねばならない。民放に比べれば安いが、それでもスーパーエリートにふさわしい給与であることに違いはない。しかも一旦入ってしまえば民間企業と違ってクビにはならない。つまりは年収500万円で妻子を食わせながら、いつリストラされるかわからない民間企業のサラリーマンの常識とは、およそかけ離れた感覚なのだ。
受信料で生活している人が、こんなに世間知らずで浮世離れしているのだということを世間の人が知ったら、果たしてどう思うのかと常々思う。
高い収益を上げている民間企業のエリートサラリーマンが高い所得を得る分には、多少の嫉妬はあっても人は不満は持たない。だが、同じエリートサラリーマンでも、その高い所得を負担しているのが年収500万円のサラリーマンとなると、負担している本人が、役人が高給を取ることへの不満と同じ感覚を持つのは当然だろう。